ほねつぎ (その八) 「美味い」 浮竹が京楽の部屋に来たのは夜の九時半過ぎ、あれからあまり間をおかずにやって来た。 「僕が言うのもなんだけど、きみ今日はもう来ないかと思ったよ」 「どうして」 「どうしてって」 「……なんで、したんだ?」 浮竹が問い返した。 「つい。うっかり」 初めてではなかった。 ほんの時々気まぐれに、京楽はああいうことをする。 「……。そうか」 浮竹は下を向いた。 「お前、病院継ぐのか?」 「何、突然」 「どうなんだ」 「まさかあ。今更お医者さんなんて出来ないよ」 「……ごちそうさま」 「いいえ」 浮竹は食事が済むと横になり、テレビを見るともなく見ている。小さく呟いた。 「あ……いったな。あれ」 柔道の試合の録画放送だった。浮竹は負傷者のことを言ったのだ。 時々こうして浮竹が小さく独り言を言う声を聞くのが、 京楽は好きだ。本人は気づいてはいないのだろうがセクシーだ。 ほねつぎ医院で高校生の少年の肩を嵌めた時の、 状態を問いかける彼の抑えた声もしかりだ。あんなことをいつもしているのかと思うと、 はらはらする。 京楽はしかしごく自然に聞こえるように、 「痛そうだね」 と言うに留める。浮竹が答える。 「痛いな。折れてる」 「さて、きみはもう寝なさい」 「ああ」 浮竹は疲労したような声で答えた。それで、なかなか動こう としない。 「ほら、着替えて。僕のを貸すから」 「ん」 「浮竹?」 「体に力が入らない」 手を取ろうとして触れた京楽は、 「浮竹。やっぱりちょっとそのままいなさい」 と言って部屋を出た。 「あー咽喉も腫れてる。唾(つば)を飲むのも痛いだろう」 京楽は持ってきたライトをカチッと切った。 「熱ももう少し上がるだろうね」 そこで体温計が鳴る。受け取って見ると三十八度後半を示し ていた。予測計測式の体温計は実際より少し高く計測される。 それを考えてもなお高い。 「用意してあげるから、すぐに寝なさい」 浮竹は、 「すまない」 と小さく言った。 「おや素直だね。大丈夫かい?」 「風邪のウィルスは入り込んだ粘膜の細胞で増殖し、自分のコ ピーを作ってその部分に炎症反応をもたらす。今のきみの咽喉 だね」 京楽は布団を敷き、氷枕を用意した。 「風邪で抵抗力が弱くなると、普段では病気にならないような 細菌によっても具合が悪くなったりする。きみはだから本当に 風邪といえども気をつけなければいけないよ」 「もういいよ」 煩(うるさ)がる浮竹の、発熱して熱い頭を乗せてやると浮 竹は嘆息した。京楽は微笑んで、 「少しは気分が落ち着くかい」 と言った。頭を動かすと、ごろごろと水の中の氷が動いた。 「こうしていると、泣きたくなるのはどうしてだろう」 耳元に響く氷水の音、普段には冷たすぎるよう冷たさ、巻か れたタオルの柔らかい感触に沈む。 頭を冷やすことに自体には それほど解熱効果は無いが、気持ちがほっとしてそういう気分に なるのだろうと京楽がまだ言っている。 「昔からそうだった」 「泣いてもいいよ」 「もう子どもじゃないさ」 「もう子どもじゃないから、僕が、泣いてもいいよと言うんだよ」 「……」 浮竹は寝返りを打って後ろを向いてしまった。よく見ると肩 が小さく震えるので、 「つらいのかい?」 と尋ねた。浮竹は首を振る。 「子どもみたいだね」 と言って頭に手を乗せた。 「よせ。よけいつらい……」 と浮竹は京楽に聞こえないほど小さく言った。 続 0715.2011 |