ほねつぎ     (その六)




「頭痛の痛みを止める最適なタイミングとは、これから頭痛が来そうだ、 なんとなく痛い、そういう時ね。プロスタグランジン、 これは痛みを発生させる物質の作用を増強させる物質で、 鎮痛薬はそれを作らせないようにするんだ。だから早めに服薬することで、 薬の効果を上げる。痛くなってしまってから薬を飲んでも、 これがなかなか効かないんだよ。何故か。 それは鎮痛剤が、二つの山を越えなければならなくなってしまうから。 まず一つ目の山、飲んだ薬が吸収されて血液中で有効濃度に達するまで。 それまでは薬の効果は発揮されない。 それから二つ目、作られてしまったプロスタグランジンがなくなるまで。 それまでは痛みは続くんだよ」

頬杖をついて京楽が講釈をしている。
それを熱心に聴いていた、一般薬を置くドラッグストア側のレジ内の女性が言った。

「でも、偏頭痛持ちの方は頻繁に薬を飲んでいると効きにくくなるとか、 鎮痛剤の飲みすぎによる薬物乱用頭痛なんていうのもありますよね。 だからぎりぎりまで我慢なさる方もいます。 でも先生のお話だと頭痛の時は毎回早めに薬を飲んだほうが良いということになりますけど、 そうすると偏頭痛持ちの方はたくさん薬を飲んでしまうことになりますね。矛盾が起こりませんか?」
「そうだよ〜。それがジレンマだよね。上手く使ってよ、って言うしかない」
「でも、それでは……」
「うん。月の半分は市販薬に頼るという人は、専門医に相談した方がいいとアドバイスしてあげて」
「はい」
「それから鎮痛剤は成分によっては胃を荒らすから、 その点においてもね。そしてこれもプロスタグランジンが深く関わっていて、 これを押さえる仕組みの鎮痛剤はその発生を抑制するわけだけれども、 一方でプロスタグランジンてのは粘膜の保護の役割も荷っているために、 鎮痛剤で抑制されると胃粘膜の保護の方も手薄になっちゃうんだよ」
「そうなんですか」
「面白いだろう」
「ええ、興味深いですが」
「だからやっぱり、上手く使ってよ、って言うしかないわけだよ。僕らとしては」

女性がはい、と返事をしたところで自動ドアが開く。

「上手に説明してやってね。さ、仕事仕事。こんにちは〜」
入ってきた初老の男性に処方箋を手渡される。
「お願いします」
「はい、お預かりします」
「今日はなんだか涼しいねえ」
「梅雨ですかねえ。調子はどうですか?」
「うん。まあぼちぼち、こうしてやっているけどねえ。 年を取るとね、あちこちガタがきて、今日も病院のはしごして、参っちゃうよ」
「ううん。それはお疲れ様」
「それでさっき行って来たんだけど、ほねつぎの先生ね」
「どうかしました?」
「骨格標本、いつも丁寧に説明してくれるやつ、 あれの手を取ってなんだかんだ遊んでいたよ。たまに見かけるんだよね、 私、ほら病院のはしごだから受付一番乗りの時とかにさあ。 あの先生、顔はいいのにね。腕もいいのにねえ……。それで嫁さん貰えん訳なのかなあ……」
京楽は思わず噴出しそうになるのを押さえた。
「それからあの先生も風邪引いてたみたいだねえ」
「あら、そう」
「五月に夏の気温だなんて言ってたら、 今度は梅雨寒でしょ。天候が不安定だからね、 うちのも風邪引いちゃうわなんて言ってそれでテレビばっかり見ている。 それはいつものことだってんだ」
京楽は相槌を打ちながら処方箋の薬を揃えると客に確認し、レジを打つ。

「お大事に〜」
と頭を下げた。その戻り際に先程まで話していた女性を見る。
「七緒ちゃん、僕ちょっと」
「はいはいどうぞ」
見てきていい? と言う前に承諾を受けた。

もしかして僕、駄々漏れているのかな。



自動ドアを抜けるとなるほど昨日までの汗ばむくらいの陽気が、 今日は雲って肌寒い。低い空は雨が降り出しそうだ。
傘を出そうかと思ったそこへ見慣れた自転車が通った。

「おっともうこんな時間」
昼食時である。
「おおい。浮竹」
「やあ。京楽」
「またそんな薄着で」
京楽は顔をしかめる。
「寄ってって」
「今日はサンドイッチの日だ」
「サンドイッチの日? それって3月13日じゃないの?」
「ああ! お前がサンドイッチの日を知っているとはな! しかし駅前のサンドイッチ屋は毎月3と1のつく日、 13日と31日がサンドイッチの日なんだ!ゴホ」
「浮竹」
「その日はオール……」
コンコンという咳を挟んで、
「100円だ」
と続けた。
「しかしもたもたしていると地元の高校生に全部買われてしまうんだ! ゴホ。コロッケパンや焼きそばパンも安い。 焼きそばパンは反対側にはナポリタンが入っているやつだ」
「浮竹浮竹」
京楽は浮竹の額に手をやる。
「そのテンションの高いのは熱があるせいかい? 小学生かいきみは」
「おいで」
「おっ。やめろ。こら。サンドイッチが……」
「俺の焼きそばパンが……」





電子音がして京楽が浮竹から体温計を受け取る。
見せないように無駄な抵抗をする浮竹をかわして京楽は数字を見た。

「けっこうあるねえ」
「サンドイッチがなくなる」
「午後休めない?」
「休まない」
「うーん」
「サンドイッチ」
「熱にはあまり薬を飲ませたくない。 体が闘っているからね。 でも辛くなったらすぐ僕に言って。解熱剤はきみ、あまり合わないだろう?」
「平気だ」
京楽は思案して、
「今晩うちに泊まりに来なさい。 幸い明日は休みだろう。迎えにいくから」
と言った。
「何で。平気だぞ」
「きみ帰っても一人だからさ。きちんと夕飯が作れるとは思えない」
「大丈夫さ。子どもじゃないんだ」
「子どもじゃないから、僕が心配するんだよ」
「……」
「味噌粥」
「む」
「味噌粥を作るから」
「む。味噌粥……」


浮竹は京楽の作る味噌粥が好物である。












どこまでも食べ物につられる人。
参考文献「身近なクスリの効くしくみ」
0715.2011






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