ほねつぎ (その四) 「ワンダーワイスっ!」 ほとんど悲鳴に近い叫び声と共に急ブレーキの高い音が鳴り響き、 通りにいた人々が振り返った。 五月の明るい青空に、自転車の車輪が浮いて空回りしている。 「…てて。大丈夫か?怪我はないか?」 「…うん。お兄ちゃんは?大丈夫?」 「ああ。大丈夫だ」 突然の出来事に動揺しながらも、少女は自分を庇った自分より年嵩の少年を気遣った。 彼は抱え込んだ少女を立たせると、自分も立ち上がって 制服の埃を落とし、倒れた自転車も起こして少女に渡す。 「どこも壊れてないといいけどな」 「うん。猫ちゃんは?」 「大丈夫みたいだ」 と振り返り、 「そんなに大事なら、ちゃんと紐持っとけよ」 と言って灰色のふわふわしたものを今度は藍染惣右介に渡した。 「あ、ああ…れ、礼を言うよ、ありがとう黒崎一護君」 「別にいいよ」 「一護くん」 「あ、浮竹さん」 「どうかしたかい?大丈夫かい?」 外の騒ぎに浮竹が院から出てきた。 「交通事故」 「事故?」 「猫の」 「ほんで猫は無事。ほれ」 と言って猫を抱いた藍染を指差す。 「猫ちゃんが急に出てきて、転びそうになったところをお兄ちゃんが助けてくれたの」 少女が言った。 「そうか。それはびっくりしたね。君は?どこか怪我をした?」 「ううん。どこも痛くない」 「そう、良かったね。でも、お家の人を呼ぼうか。後で何かあったらいけない」 「分かった」 「何かあったかい」 先の薬局から京楽も出てきた。 「交通事故だ」 浮竹が答える。 「事故?」 「猫の」 浮竹は一護を真似た。 「ああ。マンチカンだ」 「何だそれ」 「猫の種類だよ。愛好家が多い」 京楽は最近の猫は室内飼いだから、ああして外に出るときは 首輪に紐をつけるんだとか、マンチカンについて遺伝子の 突然変異で生まれた足の短い猫の歴史と その可愛さと高価な値段の付けられることを浮竹に説明した。 隣で一護が呻く。 「つつ…」 「一護くん、どこか痛むか」 「ちょっと」 「触るよ」 「でっ」 「ああ、これは見事に外れてる。痛いだろう。中に入ろうか」 「そこの、確かあいぞ―」 「あいぜん、です。僕も行きます。猫は大丈夫ですか?」 「ああすまんすまん、猫もいいよ。後で見せてくれ」 「浮竹さん猫好きなんすか?」 動物はたいてい好きだよ、などと話しながら、 少女も連れてぞろぞろとみな「ほねつぎ浮竹十四郎」 に入っていく。京楽も倣ってついて行った。 浮竹はベッドに黒崎一護を座らせ、自分は隣に丸椅子を引っ張ってきて座った。 膝や肘なども動かして調べ、 「うん、ここだけだね」 と左肩を示して言った。 「じゃあ上脱いで、そこに寝て」 京楽がのっそりと入ってきてカーテンを覗いた。 「こら、覗きは痴漢だ」 「ひどいなあ。一護君、後学のために見ててもいい?」 「いいっすよ」 一護は頓着せずに了承した。 少女は先ほど親が迎えに来て返したので、一人で 室内を猫を抱いたままうろうろしていた藍染惣右介もそれを聞いて、 結局中に入って来た。 浮竹はベッドの横に腰を下ろすと、低い姿勢から一護の腕を取った。 半袖の施術着から見える浮竹の腕は彼の背丈を考えると多少細い。 しかし筋肉が締まっていて華奢には見えない。色の白い肌には血管が少し透けて見えた。 素手の節の滑らかに立った指に力が掛けられ、 一護の腕を慎重に、肘から支えるようにしてゆっくりと挙げる。 皆黙って、囁くように静かな浮竹の問いかけと、それに頷く一護の潜められた苦痛の息遣いだけが聞こえる。 腕は考えているほどには動かされない。 「あ…」 「痛い?」 意識を他に集中させていて張らない浮竹の声は柔らかい。 「いえ…」 浮竹は頷いて、ゆっくりと円というには少し変わった軌道を辿って、ぐぐっと長い指に力をかけ、 一護がわずかに息を呑むとそのままゴクンといって肩は嵌まった。 「お見事。まるで身体の中が見えるようだねえ」 京楽が言う。そしてなぜか咳払いを一つ。 「一護くん、どう?」 「あ、大丈夫っす」 藍染少年が思案顔だったので浮竹は笑って、 「きみのときと違う?きみはすごく怖そうにしてたから気合一発だ。 ゆっくりやるとこんな感じだよ。 でもこうするとちょっと怖いだろう? 一護くんは何回もやってて慣れているからね」 「……」 藍染は下を向いて眼鏡を直した。 「一応後で京楽の病院で、レントゲンを撮ってもらったほうがいい」 「分かった。あんがと浮竹さん」 「じゃあ僕受付に手配しとくよ」 「血管損傷のチェックも頼む」 はい〜と言って京楽は出て行った。 「あいつも暇だな」 「聞こえるっすよ」 一護は笑った。 「京楽さんの病院といえばさ」 「うん?」 「今、吸収だか合併だかなんだか話があるとかいって。大変なんすか?」 「そうなのか?京楽は何も言ってなかったが…」 「卯ノ花国際病院が話を出しているって親父が。もしかして ここの商店街に巨大病院が建つだろうって」 「そうか…それは君の所の黒崎医院にも影響がある?」 「まあ親父はお馴染みさんばっかだからあんまり気にしてないみたいだけど」 「親父さん、人気者だもんな」 「年寄りばっかに」 と言って笑う。しかし浮竹は眉根を寄せた。 「そういうことか…」 「浮竹さん?浮竹さんとこは影響あるっぽいすか」 「あ。いや…ううん。どうだろうな。整形外科には負けるからなあ」 「なんで。今とかすごいじゃないですか」 と自分の肩を指差す。 「素手だけで捻挫とか打撲とか骨折まで治療するじゃないですか。魔法っすよ」 「そうか。でも俺は医師じゃないからな」 「でも国家資格ですよね?」 「そうだよ。でも医師でないという事はレントゲンも撮れないし、 投薬も出来ない。限界はあるよ…。あいぞめくん、その子なんて名前なんだい?」 「…僕はあ・い・ぜ・んですが、猫はワンダーワイス・マルジェラです」 「おー立派な名前持ってんなあ」 と言って撫でさする。 「ここも古いしな…」 「浮竹さんなんかいつもと違って弱気っすね。なんかありました?」 「そうか?腹が減ったかな」 「京楽さんは病院継ぐんすかね」 「どうだろうなあ…」 浮竹は猫をごろごろさせながら上の空だ。 「やっぱり変すね」 続 May-0616.2010(0617加筆/0727加筆訂正) 負けるなあいぞめくん。 |