LOVE & PEACE  9




何時も隣にいるのに、いつでも心だけで遠くに行ってしまいそうな浮竹が怖かった。身体は弱くても、彼本来の心は実は案外しなやかな強さを持っているんじゃないだろうかと思っていた。それでもしかし時々ふっとどこかへ消えてしまいそうな不安を常に抱えながら見つめていた。どんなに強く抱きしめたって、心ごとは捕まえられない。それが今、現実に起こっている。


あの夜帰ってから浮竹は、京楽にほとんど何も話さなかったが、京楽は浮竹が寝付いている間に浮竹の身に起きた出来事の大体のところを把握していた。
「こんなに自分が無能だとは知らなかったな」
軽薄に言ってはみたが笑って受け止める相手のいない言葉は広い部屋に虚しく響いた。

浮竹は起きている時、ぶつぶつと何か力ない声で呟くことがあった。そんな時京楽はすぐに浮竹に呼びかけるのだが返事はない。それは浮竹の言葉なのか、あるいは彼の言う浮遊する他人の意識が、口をついて出てきているだけなのかも知れなかった。
そうこうして何の役にも立たずに見ている京楽の側で、浮竹の心は日に日に遠くへと、浮竹の身体は日に日にただ衰弱していった。どうすることもできなかった。

「本当に、無能だ」




その日は事務所に来客があった。
「おまたせ……」
京楽はソファアで待つ二人に向かって言った。


時々リリネットがスタークを伴って訪ねて来る。
スタークは興味がなさそうにしていたが、毎回浮竹の部屋を一度のぞいた。


「おじさん、まだ寝てんの?治んないの?」
「ああ……うん」
京楽はリリネットを見て静かに返した。
「浮竹はねえ、本当にもう、この世界と係わり合いになるのが嫌になってしまったのかも知れない」
「何があった」
「何もかもが後手後手だ」
「嫌になったってどういう事さ」
京楽はリリネットを見た。
「うん……。僕らはさ、常に入り込んでくる情報をどうしていると思う? 目に入る物、聞こえてくるもの。僕らはね、見たくないものに対しては目を閉じるし、聞きたくない声には耳を塞ぐんだ。意識的にね。だけど、浮竹はどうだろう。僕らが考えていることが全て声で話したみたいに聞こえてきたら」
「声で話したみたいに?」
「ああ。実際もっと、ダイレクトに頭に飛び込んでくるのかもしれない。分からないけれど」
「うるさくて寝れねえな」
スタークがぼそっと言った。
「ああ。そうだ。想像するだけで頭がおかしくなりそうだ。だから、浮竹は、心を閉じるんだ……」
「浮竹はずっと、そっと生きたいと思っていた」
「何があった」
二度、問うたスタークに、
「浮竹は、自分から出向いたんだ」
と言ってちらりとスタークを見たが、続けた。
「恐れていた事態だ。うちの電話は証拠の記録が必要な時のためにいつも録音してある。それで浮竹がどこへ行ったかは分かっている。でも彼は断っているんだよ」
「僕はその電話を実に何十回と繰り返し聞いたよ」

京楽は独白めいた事だけ言って、それから彼らしからぬ沈黙を置いてしまった。




「リリネット、帰るぞ」
「もう?」
「また来る。また来ていいでしょ?」
「……いいよ。またおいで」

帰り際にスタークが振り向いた。
少し黙っている。
「なによ」
「あんた、ひでえ顔だな。人でも殺しかねないように見える」
「……そうかい」
「俺はな……。ずっと、お前がそいつを守って生きてんだと思っていた。が、違ったんだな。そいつがあんたを生かしてたんだ」
「……」
「そういう顔をしないですむようにな」
「…きみは、どうなのさ」
「……。さあな。どうかな。そうかもな」
「珍しく優しいね」
「……どうでもねえな、長居した」
スタークは頭を傾け、その上背を丸めるようにして部屋を出て行った。







二人が帰ったあと、京楽は浮竹の部屋のドアを開けた。浮竹は眠っているようだ。
ベッドの側に寄り添う。

「浮竹……」
京楽は祈るようにして組んだ自分の手のひらをベッドに乗せ掛けた。
「きみは今、何処にいるんだい?どんな気分だい?そこは、快適なのかい?」
「静かい?」
「静かでとても、穏やかかい?」
「安らかかい?……。」
「……。……。」

「違うだろう……?」



京楽は長い時間そうしていた。
浮竹に寄りそう京楽の震える背中を、いつしか夜の闇が飲み込こんだ。









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