LOVE & PEACE  4          −楽々探偵事務所−



「仕事を頼みたい。君の力が必要だ」

その独特の深みのある声で電話の主はすぐに分かった。
「休職中です」
「知っている。君のフォローは私がする」
「引き受けられない」
「大丈夫だ」
「行かない」

そう、断った。








「よく来てくれました。体調はいかがですか?」
目の前の相手がにっこりと笑って挨拶する。
「あまり、眠れていないようですね。後で軽い薬を処方しましょう」

「早速本題に入ります。こちらは心臓外科の優秀な医師です」
髪の長い女性が、心もとなげにソファーに座っている。
「今は療養中で、休職しています」
鼻筋を横切るのはタトゥーなのか、どこかの民族的風習のようなものだろうか。
「名は、そうですね、今は”ネル”とだけ呼んでおきます」

「ここで二人を引き合わせたのには理由があります。彼女の治療に君が参加することで、彼女にとっても、そして君にとっても良い結果を引き出すのではないかと僕は思っています」

藍染は二人の周りを革靴の底の音を響かせて歩いた。

「さて、僕は、君に実はある可能性を見出しています。 君は他人の思考を自分のものとしてキャッチ出来るという特殊な能力を持っています」
「自分のもの…いや、ただ、流れ入ってきて、流れ出るだけだ」
「素晴らしい。インプットができる者はまれに存在します。だが一様にアウトプットが正確でないために、またインプットでさえ混乱しているために疾病扱い、つまり僕の元へ精神障害として送られてくる。だが君は、理性を保ったままインプットとアウトプットを正確にできる。そして主観を入れない、ここが大変重要です」
「科学は何より客観性を重視するからです。例え理性を保ったままインプットできたとしても芸術家と称するものやそれに類する多くの者が、インスピレーションと名付けて自分勝手に弄ってしまった情報では何の意味もないのです」

「ただ君はそれをコントロールできない。僕から見ればあまりしようとも考えていないようです。さて」
「先ほど僕が言ったある可能性とは、つまり今まで君は外から入ってくる情報に対して常に受け身でした。しかし今の君が最大限に能力を高めた状態で能動的にこの行為を行ったらどうでしょう」
「君自身が能動的に他人の、それも人物を特定した思考に入り込んでいくこともまた可能なのではないか」

革靴が一定の間隔を正確に置いて耳に響き、視界がぼやけてくる。ああ、ここは知っている。あの白く眩む部屋だ。

「彼女の精神は現在、退行現象を起こしています。今の彼女の精神的な年齢は恐らく少女、10歳前後かあるいは10代前半程度と思われます」
浮竹はゆっくりと長い髪の女性を見た。十分成熟した体に不似合いな、怯えたような幼い口の結び方をしていた。
「彼女はある重要な証言をする義務を担っています。その事もあって是非とも治療を急ぎたいのです」
大きな瞳がこちらを見た。彼女の瞳が揺れると浮竹の瞳も揺れた。

「浮竹。彼女を連れ戻しておいで」

知っている。この感情には一度触れた。感情にも色彩のようなものがあって、 誰のものか特定できはしないものの、一度触れたものに再度触れると、それが同一人物のものかどうかが、分かる場合がある。これはあのマンションから帰る時、迷子になって不安で泣いていた思考の持ち主だ。そして、何かに怯えていた。


「さあ、では始めようか」

「ネル、怖がらなくていい」
「この人の手を取って、目を瞑ってごらん」
浮竹は何か逆らいがたいものを感じる。
耳に深い声が響いてくる。
抗いがたいものだ。

「浮竹。深く、精神を集中して、そう、ゆっくり…。内面に沈んで、君の海底に着いたら、始めよう」










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07302012
のろのろ更新…。


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