ウィークデイ・ドライブ   4           −楽々探偵事務所−




遠回りと言っても海沿いに車を走らせているとすぐだった。
病院も海沿いに建っていた。 広い駐車場に車を止め、降りた四人はそれぞれに伸びをする。

途中で昼食を取ったのはどこででも見ることのできるマークの ついたファミリーレストランで、しかし何かしら側に海を感じている という浮き足立った気分で、いつにないにぎやかな食事をした。

今はみな黙って空など眺めている。
スタークが京楽に渡された小さな紙を何度も見返しているのがおかしかった。 彼の母親の名をメモした紙だった。
「覚えられないの?」
京楽が覗き込んで言う。
「…会ったって、顔さえ分からねえぜ俺は」
「いいんだよ。せいぜいその高い背と、仏頂面を見せてあげて来なさいよ」
「…」
「スターク」
「ああ…すぐ戻る」
自分の呼びかけに答えたスタークに、リリネットが頷いた。 それに押し出されるようにしてスタークは建物に入っていった。


残った三人は少し歩いて浜辺に降りた。
海側の空は水平線が一番高く、それより高く視界に入るものは何もなかった。 海遊びに来ている人々の歓声と、店から流れる明るい音楽とで、 静謐(せいひつ)と猥雑が入り混じっている。 それでも吸い込まれるような景色はしばらく黙って眺めるに値した。
リリネットは裸足になって走っている。

「疲れたか?」
浮竹が京楽を労(ねぎら)った。
「大丈夫。運転するのは嫌いじゃない」
「ああ、そんな感じだな」
「浮竹も初めの頃は運転してたね」
「そうだな。あの頃はまだ…」
まだ他人の思考に脅かされるのは稀だった。
「今は危なくてとても出来ない」
「またそのうち出来るようになるんじゃない」
「そうかな」

京楽は浮竹の顔を見ていた。
「ねえ浮竹。僕さ」
「うん?」
「僕思うんだけどね」
「何だ」
「引かないでね」
浮竹は笑った。
「何なんだ?」
「長く一緒に暮らすにはお互いが出来るだけ楽なのがいいよね」
「そうだな」
「…そうだな、と言ってくれたことに対しての感想は今は後にする…」
少しほうけた声でそう言ってから咳払いをして、京楽は続けた。
「浮竹は時々、僕に負担をかけると言ってすまなそうにするけど、 それで僕は優しさをよそおって平気だというけれど」
「実は僕は、少しくらい浮竹が僕のほうに寄りかかってくれていた方が 気が楽なんだ」
「つまり僕の方がちょっとばかり大変で、浮竹にちょっとばかり貸しを 作っているのがいいんだ」
「…」
「本心の告白です」
浮竹の横顔は静かだった。
「自信が、ないのか」
「え?」
「貸しを作って引きとめようというのか」
「…」
「別れ話はいやだよ?」
浮竹はかぶりを振って、
「苦痛を買って権利を得ようというのは罰への欲求に通じる心理だ」
「浮竹先生」
「やめてくれ」
浮竹は少し笑った。
「京楽は根は心配性なんだな、いや…それが普通なのか。 いつか言われたことがある。俺は根は…」
京楽は一つ頷いて、言った。
「当てられてしまう前に言っちゃうけど、 つまり、僕はね、浮竹が一人で立てるなら、 きみがいつ出て行くのか、あるいはいつ出て行けと言われるのか、 とにかくきみがいつ僕の隣から去って行ってしまうかに 怯えて暮らすんだ」
「京楽…」
「ごめんね」
「何故謝る」
「なんとなく」
「いや…違うんだ、ちょっと待ってくれ」
「浮竹?」
話し出そうとするのに時間がかかった。そして少し目を見張って呟いた。
「驚いた…」
「何?」
「驚いたよ」
浮竹が繰り返す。
「驚いたことに俺はなんて言うか、本当に馬鹿みたいに 楽観主義者だった!」
「どうしたの?」
浮竹は笑い出しそうである。
「俺は、俺はだ。お前に負担をかけるからと言って自分が お前の元を去ることも、お前が嫌になって俺から去って行くことも 、今まで一度も考えたことがなかった」
「二人でいて、自分がもう少しお前に負担をかけないように 強くなりたいとか、そんなことしか考えたことがなかったんだ」
「あっは!お前はやっぱり意外にネガティブなんだな」
浮竹はとうとう笑い出して京楽にそう言った。
京楽は少しきょとんとして、そして
「きみが予想以上にポジティブで安心した」
と言った。





割りに時間はかからなかったらしい。

スタークがこちらへ降りて来るのが見えた。
気分を出して買ったかき氷は目の覚めるブルーで、 リリネットがスタークにも一つ差し出した。 スタークは黙ってそれを受け取って、リリネットを自分の肩に担ぎ上げ、 リリネットは青く染まった自分の舌を面白そうに見せた。 それでも何を話してきたのかは言わなかったので分からなかった。
ただ、氷を一口食べて「甘いな」と言い、それからちょっとして、
「小さかった」
とぽつりと言った。










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0902-1008.2010



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