Hard to stay away   1           −楽々探偵事務所−





熱い湯に身を沈める。
竹林系の入浴剤が放つさわやかな匂いが漂った。
シャワーでいいというのに、京楽はわざわざ湯を張ってくれる。

いつもの考え事をしていた。 いつも頭を離れないのに、思考は前進せずに同じことを繰り返しめぐるばかりだ。 埒が明かないことは分かっているのに 考えるのを止められない。 気がつくと同じことを考えている。

自分はまだ完全には回復していないのかも知れない。 それどころか、あの一件で自分はひどい動揺をした。 甦る記憶に慄(おのの)き、逃げ場を失った。 身体はひどい拒絶反応を示した。 あの言葉は閉じた記憶を開ける一つのキーだった。

浮竹は今朝になって京楽にそれを話した。 電話の主は、自分の研修時代の施設の院長だった人間だということ、 そしてそれをここ数年ずっと忘れていたこと。自分の記憶にはそういったムラがあること。
すると京楽は慎重に「藍染惣右介」と言った。何故知っているのかと問うと、 京楽は「僕は探偵です」と言った。


浮竹は大きくため息をつき、目を閉じた。 いずれにせよ、自分と向き合うことは京楽に止められている。 浮竹は京楽に吐露した。怖い。怖いんだ。心というものが怖いんだと。 自分は藍染を尊敬していたし、信頼していた。その時から現在まで 藍染の態度や行動は一貫して変わらない。 自分の側が変わったのだ。尊敬は恐怖に、信頼は嫌悪に変わった。 この自分の体質、藍染の言う能力が、コントロールできないほどになったとき、 言い現せない混乱と恐怖が自分の身を襲った。 自分の思考も他人の思考も何もかもが一緒くたで区別が出来なくなり、 全く自分を信用できなくなった。 もう何もかもが怖い。 人は、言葉一つで変わる。自分と藍染との面接で、他の何事も していない。ずっと話をして来ただけだ。 人の心とは恐ろしい。
そして、自分はなんという恐ろしい職業をしていたのだろうと思う。 浮竹は吐き出すように話した。
京楽はそれを全部聞いた後に言った。
そうだね。だけど…それが彼の手だったし、彼は知っていてわざとやったんだ。 それは悪意だよ。そして きみは反対側の側面を知ってしまっただけだ。 浮竹の仕事は良い側面、人間を信頼した良心の側面だ。 だけど、浮竹がもう嫌で戻りたくないなら、それでいい。 ずっと一緒に探偵事務所をやろうよ。僕は今とても楽しい。
そして京楽は繰り返した。あの夜以前から浮竹に繰り返す言葉。 なんにせよ、今きみは混乱している。 だから、今は何も考えなくていい。考えてはいけない。 考えることは後からいくらでも出来る。だが今は 自分を直視するな。
京楽はそう言った。

浮竹は思考を断ち切ろうと頭を振った。 ちょうど折りよく声が掛かった。

「浮竹ぇ?のぼせてなあい?」



濡れ髪を拭きながら部屋に入ると、 京楽は買い物から帰って来て冷蔵庫に缶ビールを並べている。
「見つけちゃった」
「何?」
「グリーンイグアナ」
と言って手元に残したビールをプシッと開けた。 浮竹に示すので首を振ると、こぼれそうな泡を自分ですすった。
「…ああ、あれ請けてたのか。すごいな」
「まあね。だってね。個体差っていうかさ…今日お届けに行くけれど。 またあのマンションよ。お隣の」
「そうなのか」
「うん…スタークさんのいっこ下の部屋。また直通…」
「来てもらえないのか?」
「あそこさ、我が儘な人が多い」
咽喉を鳴らしてビールを飲む京楽を見て、浮竹が笑って言った。
「やっぱり俺にもくれ。一緒に行くよ」
京楽がにっと笑って缶を放った。
「あ、こら泡立つ」





「いつ来ても豪華なマンションだねえ」
「しかし階段つー手はないものかねえ」
京楽がひとりでぼやく。
「この高さを登るのか?」
「だってさあ。防災的にも危険だよ。 火事だったら部屋に取り残される可能性があるしさ」
ぼやきながら部屋番号を押す。
モニターに向かって名のって許可を待つ。 前回の件で常駐の管理人には顔が利くようになっていた。 エレベーターの扉が開く。 京楽は乗り込むと急に黙った。 黙って浮竹の手を握る。

ぐん、と重力を感じるとケージに入れたグリーンイグアナがごとんと動いた。
「わあ。」








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07082010



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