Hard to stay away 2 −楽々探偵事務所− グリーンイグアナと言っても緑色なのは小さなうちだけで、 成長とともに色も茶褐色になってくる。 体長は180センチメートルまでにもなるというから、こういう大きな部屋でもないと飼えはしない。 マンションの重い扉を開けたのは、痩せていて白皙の、取り分け大きな瞳が印象的な青年だった。 「どうぞ」 中に入って驚いた。やはり広いその部屋はちょっとした、 爬虫類や両生類がひしめく専門店のようだった。 壁伝いに大きな蛇や珍しい色のカエル、何が入っているのか分からないものも含めて 専用のケージが整然と並んでいた。 空調や照明にも気を使ってある。 さらにイグアナは一匹だけではないらしく、放し飼いになっていて 大きな体を揺らしてのそのそと歩いている。 窓際では別の奴がキャベツを食べている。 ゆっくりと陸ガメが横切った。 「おお」 うっかり踏みつけそうになった。 眼光鋭い目で睨まれる。京楽がごめんごめんと手を上げた。 それでもその青年の瞳は何だか今にも泣き出しそうだと浮竹は思った。 「確認してくださいます?」 と京楽が持ってきたケージを差し出す。 青年は頷いてケージを開けた。 手を差し入れてイグアナを引き出し、顔をまじまじと見て 「ホレイショ…」 と嘆息した。 イグアナの名前はホレイショというらしい。 それからホレイショは部屋に放たれた。 青年が抱き上げた時に見えたのだが、ホレイショ はその咽喉元近くの胸に黒く丸い円が描かれていた。 まるでぽっかりと開いた空洞のように見えた。 よく見ると他のケージの蛇やカエルも同じところに黒く丸い円が描かれている。 個体差というか…と京楽が言ったのはこのことだった。この青年なりの所有印という ところなのだろうか。 「さて、シファーさん書類を何枚かお願いします」 「ああ、ではこちらへ」 二人はテーブルについた。 浮竹はもの珍しそうにケージを一つ一つ覗いて、 何か話しかけている。 「おお。陸ガメくん。君は案外足が早いな」 「きみはなんていう名前だい?」 「…そこのはオフィーリアで、そっちがクローディアスだ」 「そうか。オフィーリアは女の子だな?よろしく」 青年の表情がほんのわずかに和らいだように見えた。 「窓辺のイグアナもメスだ。ガートルード。そこの気位の高そうなのはフォーティンブラス」 青年はその外見に想像されるのには似ず案外と話す。しっかりした口調だった。 「爬虫類が好きなのかな?」 青年は頷いた。 「管理が大変だろう。 爬虫類は生きている限り成長し続けるって聞いたことが―」 浮竹が話の途中で唐突に舌打ちをした。続いて 「トカゲがいなくなったくらいで拒否ってんじゃねえよ」 と言った。 青年は動じなかったがその大きな目を少しだけ見開いた。 浮竹は顎に手を当てて黙る。 「近い」 京楽が浮竹に駆け寄ると、ドアがドンドンと乱暴に蹴られた。 部屋の生き物たちが反応してあちこちでケージが揺れる。 ドア越しにおーい、という声がした。 「ウルキオラァ」 「やめろ」 青年は立ち上がり、真っ直ぐにドアに向かって行った。 「うるさい。部屋の者が驚く」 「部屋の者って、トカゲとかカエルとか」 「イグアナだ」 「変わんねえよ。登校拒否野郎」 「お前だって同じじゃないのか」 「俺のはサボりだ全然違う」 「ここへは入れないはずだ」 「くだらねえ」 「オーナーに言う」 「はん。部屋でめそめそ泣いていると思ってわざわざきてやったのにその言い草か」 「泣いてなどいない。呼んだ覚えもない」 「お友だちー?」 京楽が部屋の中からのんびり聞いた。 京楽は振込先と依頼完了の書類をそろえている。 「すみません。違います。下の階の…」 「少し寂しそうだったな」 隣である事務所への短い帰り道、浮竹が言った。 「彼?親友がイグアナじゃあねえ」 「?」 「ホレイショはハムレットの親友だ。主人公なのに ハムレットがいなかったでしょ。だからハムレットは彼なんだよきっと」 「そうか…。あれは何かな。胸の、黒い」 「うん。暗い嗜好に見えなくもない」 「胸の空虚感を現して…」 「浮竹。ストップ」 「……」 「大丈夫なんじゃないの。賑やかなお友だちがいそうだったし、 それに、シェイクスピアはドロドロの愛憎劇だよ」 「…そうか」 浮竹は、自分の口をついて出た髪を立てたやんちゃな身なりの若者の、 言葉ほどの冷たさはなかったのを思った。そして思考は切断され、 「ここ、どこ…」 と呟いて立ち止まる。 「浮竹、迷子?」 瞳が揺れて京楽を見上げる。 「…とても不安だ。どこかで迷っている」 「僕たちは帰ろう」 少し後ろを振り返り、浮竹は頷いた。 その夜、書類仕事が長引いた京楽が、コーヒーを入れ直すために キッチンに入って行って戸棚を開けると、 一緒に雑然と並んでいる常備薬に目が留まった。 思うところがあって京楽は箱を開けてみる。 やはり。と京楽は思う。 「最近頭痛薬の減りが早い…」 くわえ煙草で少しぼーっとしていると、浮竹の部屋から 短く叫ぶ声が聞こえた。 京楽は煙草を灰皿に押し付けて向かった。 「浮竹。入るよ」 浮竹はベッドに寝たままだったが固く体を丸めて、肩で息をしていた。 京楽は傍らに座って浮竹に声をかけた。 しかし浮竹はうとうととして、また目が閉じられる。 京楽が少し様子を見て、立ち上がろうとすると浮竹が小さく自分を呼んだ。 「もう少し、くつろいで寝たら?」 「この方が、楽なんだ…」 「そう」 浮竹は自分の腕で体を抱いた。 「また、眠ってしまいそうだ」 「眠そうだよ、おやすみよ」 「いやなんだ…いやだ…」 「浮竹」 「まだ、寝たくない…夢の続きを見てしまう」 あちらとこちらで意識を浮遊させている浮竹の目が閉じられる。 「きみ、疲れているんだよ」 「怖い…また夢に戻るのは嫌だ…」 「じゃあどうしようか」 「キスしようか」 end 07092010 (07142010訂正) エスパーダマンション… うっきーは仕事してないよね… |