I WANT YOU I NEED YOU 1 −楽々探偵事務所− 室内は清潔で広々としていて、窓からは明るい日差しが十分に差込んでいた。 くるりと見回して男は口を開いた。 「ここは、何かのクリニックのようだ」 「当たり。お客さん、探偵になれるよ」 向かいに座るひげの男がにっと笑う。 「さて、ご依頼の件ですが…」 「あれは何だ」 「ん?」 衝立(ついたて)奥の、壁に正面からもたれている長身の男を顎で示して言う。 どうやら額を壁につけている。 「ああああ。浮竹」 ひげの男、京楽春水が振り返って呼びかけた。 「しんどいんなら寝ていなさいよ」 「…いや。大丈夫だ」 こちらをチラリと見て言った。 「ここが冷たくて気持ち良い」 「お客さんに不信がられるから」 「ああすまん…今お茶を持ってくる」 ふらりと奥へ入っていった。 「大丈夫なのか?」 「ねえ?」 京楽は笑って返した。 「で、ご依頼は」 「リリネットがいなくなった」 「お子さんですか?それともペットか何か」 「子どもだ」 「失礼。娘さん?息子さん?」 「違う」 「?」 「血がつながっていない」 「ふむ。警察の方へ知らせてありますか?」 「…」 「まだ捜索願いなどは出されていないんですね」 「公的に知られるとどこかに連れて行かれるんだろう?」 京楽は少し難しい顔をした。 「秘密は守るとあった」 男は折りたたんだ探偵事務所の広告をポケットから出した。 「…いなくなってどれくらい経ちますか?」 「今朝」 「今朝…ってまだ午後の一時ですが」 「今朝からだから半日経つ。今までそんなに離れたことはなかった」 男は苦しげに言う。 「そうですか…」 京楽は持っているペンで頭を掻く。 難しい相手である。 「あ」 「ん。浮竹どうした?」 「手を切った」 「おやおや」 京楽は立ち上がって浮竹のいるキッチンへ向かう。 「どれ。何で切ったの」 「ブレッドナイフ…パンを焼いてやろうかと」 「器用なことをする」 浮竹の白い指から血だまりが膨れてくる。 「深く切ったね。絆創膏を取ってくる」 昼の客は、夕方に直接家に伺うということで話をまとめて 一度(ひとたび)帰した。 なんでも隣のマンションだそうである。 ハンサムだが稀有にして存在する類(たぐい)の人間だな、 と京楽は判断した。男は名をスターク、とだけ言って名刺を置いていった。 「そうだ浮竹、熱は?」 救急箱の中に体温計を見つけて一緒に持ってくる。 明るい部屋に、軽々しい呼び出し音が軽々しく鳴った。 京楽が選曲して設定した電話の着信である。 「はい、楽々(らくらく)探偵事務所です」 近くにいた浮竹が応対した。 「これ毎回恥ずかしいんだが」 「いいじゃない。楽しそうで。それとも『浮き浮き探偵事務所』のほうが良かった?」 「それはもっと嫌だ…」 京楽は元していた警官を辞して探偵事務所を開いた。京楽は 親もそのまた親も果たして親族までも皆警察関係者、と言う家庭に生まれ、 反発しながらも義理で一度は自分も警官になった。なったものの、結局はやはり辞めてしまった。 『浮かれた職業のやくざな息子』というのが今の京楽春水に対する評価である。 「やっぱり、浮き浮き探偵事務所のほうが良かったかな…?」 京楽は口に出して言って見る。 「嫌だよ」 浮竹が聞きとがめて言う。 先程の男が指摘したのが遠からず当たっているように、 雑居ビルの2階に位置するこの部屋は、 もともと浮竹が開業した心理カウンセリングルームだった。 浮竹がここを畳(たた)む決意をした時、京楽は自分の転職計画を話し、そのまま居座ってしまった。 部屋の主は交代し、浮竹は探偵助手になった。 「まだ微熱があるね」 京楽は体温計を見て言った。 「午後は寝てるといい」 「いや、俺も行くよ」 「じゃあそれまで寝ていなさい」 京楽は浮竹の続きを引き受けて器用にクラブサンドを作ると、 自分は片手に持ってかじりながらもう一つは皿にのせて ベッド脇のテーブルに置いた。 「雑草などというと生命力が強いと思われているが、 確かに根ごと抜いたままその辺に放っておいてもそこからまた 生えたりするところなどを見ると非常に強い…」 浮竹が唐突に話し出す。 「しかし例えば花だけ手折って飾るには観賞用の切花より弱い。 すぐにしおれてしまう。 だからあの花も土に根ざしてあそこにあるままが良い」 浮竹はアカツメの花を見た。 ようだった。 「浮竹」 「…ああ。悪い」 「悪くないよ」 京楽が言う。 「…植物好きのじいさんかな」 京楽はにっと笑って浮竹の肩に手を置いた。 浮竹は京楽が呼びかけると、感情の抜け落ちた表情で棒読みにずらっとしゃべった後、 すぐに元に戻った。 他人の思考が流れ込むのだという。 人間の思考というのは常にそこらじゅうに浮遊していて、 時折浮竹にキャッチされて浮竹の口から出てくる。 浮竹は他人の思考が流れ込む体質のようなもの、と簡単に説明した。 詳しいことは浮竹自身にも分からないようだ。 京楽は浮竹と生活をするようになって何度もそんな場面に出くわしたが、 殺人事件の犯人の思考が流れ込んで事件解決、 などというドラマチックなことは起らない。 たいていが今のようなたわいもない日常の断片だ。 それが浮竹自身のものでないということだけが非日常であった。 「食べたら、少し寝て」 「ああ。」 続 01182010 探偵事務所、ノープランでスタート。 02162010 追記 |