月 光 (上) *諸説都合のいいようにしています。血液の表現があります。ご注意ください。 その街は明るい昼間でも人生の晩年の様な虚無感が漂い、その疲弊は夜になると一層増した。 バーには夜に疲れたバーテンと、生きることに疲れた人間が集まり、毎夜無為に過ごす。 また自分も同じながら、いつもの何かを探しているような強迫感にグラスを置いた時、到底届きそうもない場所に座る男の吐息を聞いた。 振り向いた先には、暗い色のローブをゆったり纏い、そのフードに薄暗い照明で時折キラキラときらめくようなここでは見ない珍しい色の髪を隠した男がいた。 そんな自分の視線を察知したのか、あるいは全く無視したかのように男は席を立って店を出た。 声を掛けそこなった、と思った。そしてそもそも声を掛けようとしていたという自分に気づく。止まぬ胸騒ぎを抱えて、グラス一杯を終えぬうちに、京楽はその男と同じに店を出た。 喧騒を離れた路地に出ると、街灯のない空が広がった。ここでは整備されているのは店の立ち並ぶ一角だけであった。 月が高い。まだ少しもやがかった空気のフィルターでぼやけている。舗装されていない道を荷馬車が始終駆けるので昼間は絶えない砂埃も、しかし夜明け頃にやっと止む。 暗いローブが闇に溶け込むように道行くその男の歩みはどことなく力ない。その背中を見つけるとすぐに声を掛けた。 「ねえ、キミ」 京楽は男が振り向くまでに、何故自分が唐突に声を掛けたのかの言いわけを考えなければならなかったが、その必要はなかった。振り向く前に男が弱弱しくその場にうずくまってしまったからだ。 「キミ、どうかしたの」 「…いや」 「どこか悪いの」 「ただの貧血だ」 「そう」 京楽は自分も屈んで覗き込むようにした。 「立てる?家はどこ?送ろうか」 そう立て続けると、男は頭痛をこらえるような表情をしながらゆっくりとこちらを見上げてきた。その印象と言えば月の光にでも例えようかというほどの美貌で、透き通るような白い肌にアイスグリーンの瞳が不思議そうに揺らめいていた。 音もなくフードから髪がひとふさ、零れ落ちた。 「驚いた。ホワイトか。シルバーかと思っていた」 「綺麗だ」 「…なに」 「あれ、声に出てた?」 「ああ」 男がふと柔らかく笑う。 「この髪をそんな風に言う者は母親以来だ」 京楽もつられて笑う。 「それより大丈夫かい。家まで送ろう」 「平気だ、歩ける。少し立ち眩んだだけだ」 「そう」 男の歩みはやはりふらふらと心もとなかったが、自分に見られて開き直ったのか、フードをとって軽く首を振りほぐし、夜風に長い髪を遊ばせて楽しんでいる姿は、やはり美しかった。 「なぜ、ついてくる?」 「ボクのお家こっちだから」 男は少し困ったようにしたが、それ以上は言わなかった。 疎らであった街灯もなくなり、道らしい道も無くなった頃、うっそうとした森が月明かりに現れた。男は立ち止った。 「寄っていくか?」 「いいの」 男は黙って高い鉄柵の施錠を開けた。 少し歩くと薄暗い中に高くそびえたつ建物が見えてきた。かなり煤けているが、大きな、まるで城のような屋敷だった。 「なにもないが」 先ほどの京楽の問いに答えたようだった。肯定と受け取る。 錆びた蝶番がひどく大きな音をたてて扉は開いた。中も暗いが男は頓着せずに進む。と思い出したように、 「すまない、明かりはないんだ」 と断った。 「いや、大丈夫、ボクも夜目は効く」 「部屋に行けば蝋燭くらいはある」 京楽は高い天井を見上げた。本当に何もなかった。恐らく全く掃除のされていない、埃の積もった階段を登って2階へ上がると、広い一部屋の真ん中に古風な天蓋付のベッドだけが清潔に整えられていた。 「もしかして聞くけど、そういう商売?」 「だとしたら?」 「買ってもいいよ」 「違う」 男は否定した。 男がローブを脱ぐ間、京楽はその部屋の窓枠に寄り掛かろうとして手に違和感を覚えた。 「イタ」 古い木の枠はささくれ立っていたようで、大きなとげを一つ刺してしまった。 ついと抜いて様子を見ると、赤い血の玉が出来きて落ちるのが冴えはじめた月明かりに照らされた。 男は息をのみ、突然顔を覆って倒れた。 「えっ」 京楽は駆け寄って抱き起こす。 「おい、しっかり」 京楽が倒れた男に顔を近づける。 「どうしたんだい?」 「やはり、買ってくれ」 乾燥して血色のない唇は少し震えてそう言った。熱い息を吐き、欲情に濡れた声で、細い腕が絡み付いてくる。 「アンタ、名前は」 「十四郎。浮竹十四郎……」 京楽は唇を塞いだ。 浮竹はとろける様な表情で京楽の口づけに応え、ベッドへ誘った。京楽は浮竹を抱えてベッドへ乗せ、自分も乗ると重みで綿がぎゅっと音をたてた。 先ほどまでローブに隠されていた足を、服の裾を分けて露わにすると、まるで冴えだした月光を反射しているように白かった。京楽は馬乗りになって浮竹十四郎の身体を乱した。 next 11032013 |