木の下闇 (このしたやみ) 何もかもを明るみに晒し出してその強い光と熱で焼き尽くすような、 そんな真昼の事であった。 京楽は木陰に誘われるままにうっかり茂る森の中まで入って行った。 真ん中に鬱蒼としてそびえ立つ巨大な古木がある。 その根元に外の光はほとんど届かずそこだけひんやりとして薄暗い。 足元を見ると深い緑色をした苔が、十分な水分を含んで光っていた。 ああ、出口が分からなくなる、とそう思いながら、 男を抱いた。 男の白い手首が幹にすがって爪を立てている。 固い木の皮膚に負けて爪が剥けてしまう。 頭上で蝉が煩く鳴く。 男から漏れ聞こえて来る声は明らかに苦痛を訴えていて、 それでも絞り出されるその語尾に混じる吐息が自分の欲望を駆り立てて止まない。 ほの暗い闇の中で長い白髪を乱して自分の下で泣いているこの男は 昼日中(ひるひなか)だというのに 白い夜着を身に着けていて、次第にはだけて現われてくる背中も 纏う夜着とほとんど変わぬ程白くこの世の人間ではないように思われた。 取り憑かれたように長い時間そうして痛めつけて、 男が意識を失って崩れ落ちるまで愛してやる。 それから倒れた男をその木の根元に放って自分は 真昼の白い外に出た。 出口はすぐそこで、なんの森と言うこともない。 それから連日同じ事を繰り返した。 終わると自分のものや彼自身の吐き出した体液を付着させたまま 男は乱れた着物で寝ているが、あるいは死んでいるかも知れないと思うと 急に恐ろしくなってそれでいつも引き返すともう跡形も無い。 苔が散々に踏み荒らされた痕が根元に残っているだけである。 そしてそれも翌日にはふっくらと水分を含んで元に戻っている。 白昼夢とはこの事か。 ジイジイと鳴く蝉の声が耳について離れない。 そんなある日道端でぼんやりしていると後ろから、ざっざっと馴染みの足音がして 副官を連れた浮竹が声を掛けて来たので放心を隠すために先んじた。 「こんな炎天下に出歩いて大丈夫なの」 「元柳斎先生に呼ばれてね。一人で大丈夫だというのに」 「わざわざ心配だからついて来たんすよ」 と彼の副官が付け足した。 「鈍っているな」 と浮竹が言う。 「京楽、どこか悪いのか」 親友が邪気無く尋ねてくる。漆黒の着衣の副官の隣で彼の白羽織が 酷く眩しい。 「いやなに。暑いし」 「しかし」 「どこもなんとも無い。大丈夫だよ」 「最近のお前は少しおかしいようだ」 そう言った浮竹の語尾がすっと薄れたかと思うと すぐ隣で突然どっと倒れた。 副官の海燕がすぐに抱え上げて日陰に移し、寝かせて 両手で着物の胸を開け、袴の帯を素早く解いて緩めた。 二三度呼びかける。 着物の開いた胸が上下してむせて、浮竹がうっすらと目を開ける。 「飲めますか」 腰の竹筒を開けて水を口に含ませたが飲みきれずに端から流れた。 一連の動作に何の性的な意味合いをも含んではいなかったが、 京楽は少し目眩を覚えた。 「何ぼけっとしてるんすか。手伝って下さい」 「…うん」 「あんな危ない倒れ方をして。ここで大丈夫なの」 雨乾堂に移されて寝ている浮竹の布団の脇に膝を立てて座った。 「暑さのせいだ」 「それだけ?」 「最近夢見が悪くてな、あまり寝た気がしない」 海燕から冷たい茶が出された。 睡眠が十分でない浮竹への配慮を置いた水出し茶だった。 「夢見が悪いどころじゃない。 酷くうなされて、声を上げて飛び起きることもあるくらいです」 「一体どうされたんだか」 黒髪の副官は案じた。 「少し居て貰えますか。仕事があるんで」 「いいよ」 「悪い夢ってどんな」 浮竹はそれに答えず、額の手ぬぐいを目元まで下ろしてきて当てる。 「京楽、お前、生霊を飛ばすのはやめてくれ」 「え」 「身が持たない」 「…あれはきみかい」 京楽は間の抜けた時間を置いて言った。 「よく分からないが多分そうだ」 「浮竹、ちょっと爪を見せてごらんよ」 「見ないほうがいい」 「うん、僕は君を抱きたくないんだよ」 おもむろに京楽は言った。 「俺の影を抱いていて満足か」 京楽は答えなかった。 見慣れた窓からの景色が、遠く陽炎にかすんでいた。 了 (「木の下陰」へと続く) 07272011 |