後の月   (のちのつき)




京楽は悲しみを隠せない。
月の夜、外に出て杯を傾けながらいる。
この世は悲しみで満ちている。

悲しみの最中(さいちゅう)にいる友人が一人ある。
彼は悲しみを隠せない。
悲しみと言わず感情を隠せない。

しかしそれが、笑っている。

彼(か)の彼が笑っている。

悲しみで笑うな。
それを動力にして笑うな。
それを優しさに変えるな。

「今は未だ、」
其の時ではない。
「うん?」
「いやなに。きみんとこ、仕事詰まっているね」
「ああ、まあ何かと忙しくやっている」
「あの子たちは慣れたの」
「頑張ってくれているよ」

「きみさ、大丈夫なの」
「ああ、大丈夫だ」
「本当かね」
京楽は杯を呷(あお)った。
「京楽、俺だけが辛いと思うな。 他にもっと辛い人間が大勢いる。彼の身内や、慕っていた部下… いや、彼を慕っていない部下などいなかった」
「それが浮竹が悲しめない理由になどならない」
浮竹は口元を和らげて黙った。
「きみが、立場を弁(わきま)えて泣かないのなら、隊長など辞めてしまった方がいい」
その口元を今度はきつく結ぶ。
「……お前、自分のことを考えたことがあるか」
「僕?」
「お前こそみんなその編み笠の中に隠してしまうんだ」
「僕のことはいいよ」
「そうしてこうやっていつまでも独りで飲むんだ」
「浮竹もどう」
「それは、死者を悼(いた)んでいるのか」
「これは、この世を愉しんでいるんだよ」

浮竹の白い髪は月明かりに照らされて銀色だ。
銀の髪が細々と揺れている。

「愉しむ?」
「この世はどうしようもないことばかりだよ」
「そうだな」
「これは意外」
「俺も等分に歳をとっている」
「うん…さっきのは言い過ぎた。ごめん」
「いいさ。お前が傷つくことはないんだ」
「うん。僕は君が傷ついたことに傷ついて、君に強い言葉で当たってしまったよ」
「ややこしいことをするんだな」
「うん…ごめん」


「月が明るいな」
「十三夜さ」
「栗名月だな」
「豆名月とも」
「なんだか茶菓子の名前みたいだ」


「さっきの事だけど、まあ山じいあたりはそうは思っていないようだけれど」
「ああ」
「のらりくらりしている僕なんかとまるで違う」
「生きる正義でおられる」
「くくく…」
「そこで何故笑う」
「まあそれだけ、総隊長の荷は重い」
「そろそろ楽をさせてあげたいものだが…」
「それもどうかな。きっとまだまだ生きる正義でいるおつもりだよ」
浮竹は同(どう)じて微笑んだ。

京楽は思う。
その微笑を僕におくれ。
この世の悲しみの代償に。

冷えた夜風に咳をした浮竹が、少し胸を押さえる。
「浮竹」
「平気だ…何かの拍子にまだ少し引き攣れるだけだ」
「僕、君を失うのだけは嫌だな」
「俺だって同じさ」
「同じじゃないよ」
「そうか?」
「多分ね」

他の者がどれだけ悲しでいるとしても、自分より悲しむべき立場の者が どれだけいたとしても、彼の悲しみは彼のもので、 決して悲しみが消えるわけではないのに、彼はそれを受け取らない。

「きみは悲しみ方を知らない」
「月を見て酒を飲むのか」
「僕はきみの分も代わりに悲しむことにしよう」
「お前は世の中の代わりにいつも悲しんでいる」
「まさか。悲しい話は嫌いさ」



「浮竹」
京楽はそっと寄って、酒瓶を振った。
「もうないよ」
「今日の分の悲しみは呑み終えたか」
「きみに詩の才能があったとは驚いた」

振った水滴が浮竹の頬に落ちる。

「涙がひとつ」

「舐めてもいい?」
「いいぞ」
「……」
「…さっきのあれ、もしかして僕間違ってる?」
「?」
「同じじゃないっていうの」
「ああ」
浮竹は柔らかに微笑み、京楽は立ち上がって大らかに息を吸った。

「悲しみの中の密かな愉しみは後にとっておこう」


「好きにしろ」





もう直(じき)、野点(のだて)の酒も寒くなる。
そうしたら、きみんとこの熱燗を貰いに行くよ。













1022-1023.2010

1111.2010(加筆・訂正)
お互いがお互いの傷に傷つくおっさんたち。好き同士を黙っていながら楽しんでいるおっさんたち。



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