ALL BY LOVE 「恋に似た、愛。 愛に似た、恋。それは命のかけらの滴…」 京楽は本を片付けながら、小さく口ずさむ。 ずっと、そんな恋をしている。 その矛先に穏やかな目線を移す。 浮竹は京楽の部屋にいて、先程からずっとの窓越しの秋行く景色を眺めていた。 街路樹の落ち葉が風に舞い、また車の排気に巻き上げられる。 「ここのところとても天気が良いね」 「そうだな…」 浮竹の返事は疲労を含んでいた。 少し、熱を出している。 夏のささやかなドライブの後から浮竹は、 また日にぽつぽつと微熱を出すようになっていた。 そのせいで寝たり起きたりしていたが、その退屈そうな様子に 京楽が本を貸そうかと言って部屋に呼んだ。 「浮竹」 「景色が…」 「うん?」 「景色が遠い」 「遠い?」 「とてもきれいで、まるで一枚の絵を見ているような…自分と景色とが違う場所にあるような」 京楽は側によって肩に手を置く。 京楽には浮竹こそが遠く、静か過ぎた。 ふっと息をついて浮竹は部屋の中を見回し、 「前から思っていたが、京楽は読書家だな」 と言った。 浮竹は、本を読むと決めた休日の京楽の様子を思い出す。 京楽の本棚は、縦置きに詰まった棚にあぶれた本がわずかな隙間を見つけてさらに横積みに乗せられている。 その一つを選んで、京楽は何をするにも終日持ち歩く。 読むのに疲れてコーヒーを入れに行ったと思ったら、 気分転換に今度はまた違う本を手に取るといった具合だ。 浮竹がほんのり笑う。 「なあに。やらしいの」 「?」 「思い出し笑いする人はやらしいって言わない?」 「思い出して笑う事が心にたくさんあるのは、良い事じゃないか」 「ふむ。そうだね。そうかもね」 浮竹はやっと立ち上がって、本を選ぶことにした。 ぱらぱらめくって、ふと手を止める。 「これは何だ、時々書き込まれている。日付か?」 巻末や本の冒頭に、日付らしい数字がふってある。 「ん?ああそれ、そう。読んだ日付だよ」 「読み終えたら全部書くのか?」 「まあ、書き忘れたいるやつもあるよ」 「なぜ書いてあるんだ?」 「僕、日記をつけるって柄でもないわけでしょう。 でも、本に日付を書いておくと読み返したり、タイトルを見ただけでも、 その本を読んでいた頃のことを思い出すことができるんだよ。 その時の自分が何をしていたとか、何を考えていたとか、雨が降っていたなとか、 あとワールドカップがあった年だったとか。 それから、読みながら何を食べていたな、なんていうこともある。 それでまあ、日記代わり」 「京楽は、やっぱりロマンチストだな」 「それはもう。とても」 またしばらく浮竹は本を見学するのに戻り、京楽は片付かない本の片付けに戻った。 風は冷たいが日差しに暖められて柔らかく、 京楽は秋の穏やかに過ぎていく時間を思った。 と、一つ本を取り落とす。 「おっと」 ごとん、といって床に落ちた。 「ごめ…浮竹、」 浮竹は飛び上がるほど驚いて、しかしそれを表すことが出来ないせいで 息を呑んで小さく震えた。 「浮竹」 京楽は浮竹の背を撫でる。 浮竹の精神は内に入っていて、対比的に外の刺激には過敏になるのが以前よりも進行している。 「ごめん…手が滑った。びっくりした?」 鼓動が早い。動転している。 「…」 浮竹は身を小さく縮めて屈(かか)んでいたが、少しすると平気だ、と言った。 「すまない」 京楽は小首をふって背にやっていた手を離すと、浮竹の額に当てた。まだ少し熱い。 「微熱が出るのは…ストレスで免疫力が落ちているせいだろう…」 「うん。それじゃあ免疫力を高める料理が載っている本を探そう」 二人で料理の本を探して大分落ち着いてから浮竹は、 「日付の話だが」 と、話し始めた。 「人間の脳は何年の何月何日に何があったというような 正確な日付は覚えにくいんだ。だがある出来事の前後、という 序列の記憶については優秀だ。歴史的順序だな。 だからある出来事について、そうだな、 どこ開催のワールドカップの、その前だったか後だったか、 ということについては思い出すことができるんだ」 「ふうん。そういうものかい」 「ああ。だから、日付をいれて置くという記憶術は案外正しいな」 そういって浮竹が笑いかけたので京楽も微笑して答えた。 「それで…俺の記憶に斑(むら)があることは話したな」 「うん」 浮竹の記憶は、藍染によって土足で踏み入れられて乱れている。 京楽は苦く思う。 「特に大学時代のことなどはすっぽり抜けてしまっている。 同じ大学にいたと、京楽は言っていたな」 「ああ、それで…」 「?」 「ここのエレベーターで僕ときみが再会したとき、きみは僕を覚えていなかったんだ」 「そうだったかな…」 「あんなに強烈な思い出のはずなのに」 「悪い…」 「いや、僕のほうは助かった。だって、僕、 実はきみに一度振られているんだよ」 「ええ?」 「僕から打ち明けたんだよ」 「僕は法学科できみは文学だったが、同じ講義をいくつか取っていた。 しかしその後きみは、少なくとも僕のいる講義には出なくなった。 僕はてっきり、僕のことが嫌になって来なくなったんだとばかり思い悩んで、 それでしばらく落ち込んでいたんだよ」 「それは…悪いことを…したな…」 「それで自分を見失って警察官になってみたり」 「自分を見失って警察官になるとは優秀なことだな」 「ふふん」 「悪かったな」 「もういいよ。覚えてくれていなくて僕は助かったし」 そしてもう一度、こうして君に恋をしている。 愛のような恋を。 一度きりだが肌を重ねた。 恋のような愛で。 「既(すで)に抱かれて啼(な)く心、幸せの音色…」 京楽は先程の続きを歌い出す。 浮竹はその歌詞にそっと耳を染める。 内心で京楽は良い声をしていると思っている。 京楽が埃を逃がすのに開けた窓から、秋風が入ってくる。 もうじきに寒くなる。 「ああ!」 京楽の鼻歌をこっそり聴いていた浮竹がびくっと振り向いた。 「な、なんだ」 「キスをするとストレスが減るんだってよ」 「…知らないな」 「そういう実験があるのだと聞いたことがあるよ」 「…そうなのか」 「それが30分間と言う話」 「……」 「…長いな」 二人でくすくすと笑った。 end 1123-1125.2010 くっついているようでくっついていない二人。くっついていないようでいつもくっついている二人。一緒に住んでいながら、恋してる。 京楽さんが歌っているのは、細野晴臣「アーユルベーダ」 |