ウィークデイ・ドライブ 3 −楽々探偵事務所− 今日は朝からの晴天で、今年一番の暑さになるとラジオが言う。 快晴の空は真夏の気分を十分に演出していて、 フロントガラスに映った街路樹が視界を緑色に染めて流れていった。 浮竹は運転する京楽の隣で景色の色を楽しんでいる。 開け放した窓からの強い風が浮竹の髪を煽る。 そういえば二人とも、浮竹の髪のことを言わない。 「珍しくない?」 と聞くと、 「なんとも思わない。うちのマンションの住人は多国籍だからな。 慣れている」 とスターク。 確かにさまざまな肌の色、髪の色の人々が出入りしている。 「何か理由あるの?」 「さあな。オーナーが…」 「オーナー?マンションの?持ち主? きみたちのマンションさ、高そうね」 「…まあな。だが俺たちみたいな何の保障も持っていないやつに住まいをくれた。 恩義があるな」 「そうなの。あれ最上階の馬鹿でかい部屋ってオーナールーム?」 「そう聞いたが」 「住んでるの」 「さあな。あすこで会ったことはねえな」 「ピアニストって儲かるの?」 「腕が良きゃあそれなりだ」 「ふうん…」 「探偵ってのはめんどくせえわりに儲からなそうだな。あんたを見ていると」 「…それは、どうも」 いつにまして饒舌だったスタークも、会話が途切れて黙ると車内は静かになった。 京楽がミラーで見るとスタークは寝ていた。 「スタークってすぐ寝るんだ。寝るのが得意」 「みたいね」 リリネットもしばらくははしゃいで、車の窓から物珍しそうに外を覗いていたが スタークが寝ると同じようにスタークに寄りかかって寝てしまった。 京楽はラジオのボリュームを少し落とした。 「ゆるいのが信条」 「あ、それ僕の」 二人は顔を見合わせてくすっと笑った。 「そうか」 「うん」 浮竹が拾ったのは隣の京楽の思考だった。 「僕さあ、警察辞めてから緩いのが信条」 京楽は改めて自分で言った。 「そうか」 「うん。例えばこんな平日のドライブとかさ。僕たち全員堅気じゃなからね」 「はは」 と笑ってそれから浮竹は、 「あまり…聞いたことがなかったが、京楽は何で警察辞めたんだ」 と聞いた。 「聞けなかったんでしょ」 「ああ…まあ」 「浮竹のことは全然関係ないよ」 にこっと笑ってこちらを見る。 「僕さ、ある日突然平凡な人生がいいと思ったんだ」 「それから、どうでもいいことを、覚えていたいと思ったの」 浮竹は黙って聞いている。 「警察って激務でさあ、まあそれは別にかまわないけど、 忙しいって事は効率、効率を求めていくわけね。 そうすると片端から余計なもを捨てていく。 ゆっくり判断も出来ないでね。 そうすると人間どうなるか。どうでもいいことなんて 憶えていられないんだ。 それは忘れるっていうより覚えないんだ。 見なくなる。感じなくなる」 京楽は運転しながら少し周りを見渡すような目で、 「自分の周りに平凡な、どうでもいいことが存在していることすら 忘れそうになる。忘れていることすら忘れてしまいそうで、 僕はそれがいやだったんだ」 「僕は、僕が自分で覚えていたいことを覚えていたいと思ったんだよ」 「…ちょっと感傷的過ぎる?」 「いや、京楽らしいよ」 「…うちは親も皆警察関係でね。父親ももちろん母親も。 で、家政婦さんというやつが時々来てくれてたんだけど、 知ってる?警察も夜勤が多くてね。 僕ねえ、子どもの頃いつも『父さんと母さんは今日帰ってくるの?』 って聞いてたんだよ。普通さ、ないよね。帰って来ないのが日常なんて」 「寂しかったか?」 「うーん、それが寂しいということだと知らなかったのが寂しいと思ったね。後で」 浮竹はまた京楽の気持ちを察したものかどうか分からなかったが、一拍おいていった。 「京楽はただ…愛されたかったんだな」 「…」 「まあ、そうね。平凡にね」 浮竹は微笑んだ。 「腹が減ったな」 スタークがむっくり起きて言った。 「おはよう。どこか寄って行こうか。浮竹地図見て」 「地図…カーナビねえのか」 「あるわけない」 「ここは『助手』席ですから」 「京楽ちょっと」 浮竹が呼ぶので横目で地図を見る。 「ん。あ、間違った」 「?」 「ちょっと道間違ったんで予定より掛かりますよ」 「間違うのかよ」 「いいのいいの。遠回りしても良かったと思える大人になりたいと思わない?」 「なんだよそれ」 京楽がぐんとハンドルを切って曲がると、正面の景色が開けた。何もない。 「海です」 「海沿いを走るよー」 「ご飯食べるとこ目視で探してねー」 起きたリリネットがはしゃいでいた。 スタークは仏頂面で文句を言っていて、 隣の浮竹は楽しそうに笑っていた。 片側にずっと続いている海が光を反射してキラキラしていた。 next 08272010 京楽お父さん。 |