土潤溽暑   (つちうるおいてじょくしょす) ・ 上




夜になっても蒸し暑かった。
風は吹いても同じ温度の空気が動くだけで、 肌はじとりとして乾かない。
昼間熱せられた土は生温(なまぬる)い熱を持って未だ冷えず、
冷えないまま翌の朝日を迎えまた熱せられる。

こうして奪われてゆくのは体力だけではなかった。そんな夜が続いている。


足元をいくぶん大仰にふら付かせて、京楽は歩いていた。
さっきまで飲んでいた店の土産の酒をまた煽る。


「たいちょうはー誰と付き合ってんですかー?」
姿の誘う明るい髪の、機嫌よく酔っ払った女が通る声で問うた。
「うん?美人さんと」
簡素に答えた。
「えー。うそー。でもありそうー。でも京楽たいちょうってー、 いつもおもうんですけどー。モテてなさそうー。 いい男なのにー。それわざとですかー?」
女の言葉はいろいろな要素が入っていたが、
「それはどうも」
と言っておいた。
「あたしー。想い人がいるんですけどーこれが全然わるっくってー よくなくってーそれがよかったりもしてー…」
そのままうつ伏せると思ったらぐっと顔を上げて、
「隊長って、今日なんか暗いですね。隊長って誰と」
と言うので
「素直でいい子だよ」
と重ねた。
「いい子!いい子!」
女はそこでこぶしを作ってぶんぶん振り、そうしてまた同じ話題を続けるうち、
「もっと優しくしてあげたらどうですかあー?」
と言われた。
「優しくしてるよ」
「えーそしたらいい子とか言わないわー。 言わないわー。基本わがままでー」
いつの間にか、いつもは大人しい切れ長の目の男がやって来ていて座った目で言った。
「どこも何も不満がないのは、京楽隊長が本気でないか、 相手が本気でないか、 それとも見放されないように不安がって自分を我慢しているんですよ」
と饒舌にしゃべった。
「そういう心理です」
「優しくしてみたらいいですよう。きっと癇癪を起こすから」
「癇癪?」
「それすら可愛いと思えれば本物ですね」
「ふふん」
女が肩に掛かる髪を後ろへ優雅に髪をなぎ払う。
そういえば浮竹のこんな仕草は見たことがない。
いや、あっただろうか。思い出せない。
後の勘定を持って先に店を出た。



月が煌々と明るい。暑い。
若いということは怖いものを知らない。



「浮竹」
この暑さでまた少し痩せた面差しで柔らかに彼が笑む。

相手が本気でないか

「また酔っているな」
閉口気味なしかし少しも困らない様子で彼が言う。

相手が本気でないか

「浮竹」
「嫌だ」
「何故」
「最近のお前は」
京楽は強引に細い体をねじ伏せた。
声をあげる口を吸うと浮竹は強くむせた。
構わず体を繋げた。



用意のない身体は軋みを上げる。
内蔵が抉(えぐ)られるような苦痛を感じている。
一度自分を見た。すぐに痛みに目を閉じた。
ひと束ねにした長い髪が乱れてひどい。そういえば髪紐も解いてやらなかった。
京楽はいつにもまして執拗で、なかなか終わりにしようとしなかった。

浮竹はもう一度京楽を見ようとしたが、もう目が霞んでよく見えなかった。



「無理だ」
「もう無理だ」
「おい、聞こえないのか京楽」
「きょう…」
白い咽喉から搾り出される声に京楽は返事を返さなかった。
「き……」
返事をしないでいると浮竹は呼ぶのをやめた。
それでそのままねつく浮竹の身体を貪(むさぼ)っていると、 突然腕の中の身体の力が抜け落ちた。
がくりと首が後ろに垂れる。
京楽は背に冷や水を掛けられて我に返った。抱きかかえて呼んだ。
「…浮竹、浮竹」
頬を叩くのを惑い、うろたえた両手でそろそろと撫でたり包んだりした。
「…。」
浮竹はすぐに目を開けたが少し朦朧としていた。
「すまん。少し寝たか」
朦朧としていたが努めて確かに話した。
「浮竹…ごめん。きみ、失神したんだ」
「…気にするな。一瞬寝ただけだ」
京楽はぎゅうと浮竹を腕に抱いた。抱いた形にして浮竹に抱かれた。
胸に顔を埋める。
「京楽。そんな顔をするな」
「今見えないでしょ」
「何が不安だ」
「え」
「何に怯えている」

京楽隊長が本気でないか

否。

好きになって、思いが通じ、身体を合わせて、その先に何がある。
それでもこんなに苦しいならどうしたらいい。

「…これ以上の何のしようがあるの」

浮竹はそう思わないの。

相手が本気でないか

…。

「浮竹は何で僕を困らせないの」

突然浮竹の足が上がる。
まだ身体を繋げたままでいたので京楽はまた背に冷や水を浴びて 寸でで抜き、その分遅れて浮竹の容赦ない足蹴りを腹に食らった。
「……。……危ないよ…浮竹、僕、不能になるところだったよ」
「別に不能でもかまわん」
「嫌だよ…」
「馬鹿な奴だ」
「……」
「…この頃のお前はいつもそんな風だな」
「…馬鹿なんですよ」
京楽が抱いた腕に力をこめて浮竹に抱かれに来る。

「甘えているんだな」
浮竹の声がふいに和らいだ。
「そうかな…」
気が緩んで、
「浮竹の寛容さに付け入って冷たくしてみたり素っ気無くしてみたり、 それでも変わらない浮竹を感じて満足してみたり、一方で それでは足らずに浮竹を不安にさせたかったりしている」
と告白した。
浮竹が黙っているので
「でも浮竹がもっと僕に縋り付いてくれればいいのに」
と付け加えた。

「お前の乙女心は良く分からんな」
「乙女…」
浮竹は組み敷かれてもなんでも男を手放すつもりはない。それでも
「不安なのは俺も変わらん」
と言った。
「それは俺も変わらないんだぞ」
「みな危険な身の上だ。俺なんか寝ていることが多いから安全なくらいだ」
「…僕の言うこと聞いてた?」
「ふん」
にわかに立腹して言った。
「汗をかいた。湯を使う」
「駄目だよ、さっき失神したでしょう。倒れる」

浮竹は立ち上がって行ってしまった。
浮竹の男気もよく分からない。
優しくする前に癇癪を起こしたよ。 不安がっているのは僕で、 自分を我慢しているのは…どちらもない。
はは、と笑って京楽は頭の下に腕を組んで敷いた。

浮竹は自分の足の間(ま)に流れるものを感じて少し立ち止まった。 呼気を小さく乱したが粗野に着物の内側で拭いてしまった。
風呂場で着物を解くと今度は少しめまいがした。
しかし腹が立っていたので無視して無頓着に湯に入った。

すぐに気分が悪くなった。



「馬鹿も休み休みにしてください!!!」

京楽が怠惰に畳に転がっていると、怒号とともに浮竹が運ばれてきた。
白い湯具姿のままあちこちに氷をあてがわれている。
慌てて起き上がって場所を開けると、開けたその場所にあてつけのように 機敏に布団が敷かれた。
京楽が寝かされて団扇で扇がれている浮竹を愚鈍に覗いていると、
「全くあんたたちは何をやってるんすか!!!」
とまた怒号が響いた。
「ほら」
浮竹が薄目を開けて京楽を見た。
「なに」
「怒られた」
「きみが悪いんでしょう?」
「お前がぐだぐだぐだぐだ言うからだろうよ」
「あっ、なんか浮竹いつにも増して口が悪い」
「女々しいんだ!!」
「なんっ」
そこで遮られた。
「ああもう、この暑っついのにややこしくなって 余計暑苦しいんっすよ!!」
「全くだ」
浮竹は腹いせに自分の席官と組んだ。
「…ごめん」
「隊長!あんたもです!!!」
しかし彼も同じに大音声で叱られた。

雨乾堂の暑気はあざやかに吹き飛んだ。









08132010

時系軸をたぶん間違えました…。海燕当時の他隊の人物が不明なのでもしかしてこの人たちがもういたってことで読んでくらさい…
「下」は海燕サイドのです。




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