半夏生  (はんげしょう)




どうにも体がだるくていけなかった。
空気が水分を含んで重い。呼吸が重い。
風もない曇天の空は陽で身を射さなかったが、重く閉じられた蓋のようだった。

京楽は茫洋と道を歩いている。
暑い。
むうと暑い。

しばらく歩いて、竹林に入る。
にわかに清涼を得た。


腰を下ろして見上げると、まっすぐに伸びた竹の向こうに空があった。
竹というのは押し並べてみな真っ直ぐに伸びる。
少し含み笑った。

青々と清々しい視界に、 何か白いものがちらと見えた。
よく見るとそれは黄緑がかっていて、稲穂のようである。
ああ、花が咲いている。
と京楽は思った。
竹に花が咲くのは稀(まれ)である。
六十年に一度とも百年に一度とも言う竹の開花には、 自分のようなものでも出会い難い。

気が付くと、あちらこちらで白いような黄色いような 竹の花がちらちらと揺れている。

竹の繁殖は無性的に地下茎で行われ、 花が咲くと竹は枯死する。
自分が己を通した場合のまた何かを連想させた。

しばらく眺めていようと思ったそばから視界が青い竹林に戻った。
花はどうした。

隣に浮竹が座っている。
「やあ」
浮竹は微笑んでいる。
「今時分に竹林に入るものではないよ」
「何故」
「幻を見るからだ」
「竹の花は幻かい」
「ああ。咲いたり消えたりする」
浮竹は微笑んだまま、
「竹は花が咲くと枯れるんだ」
と言った。
「根が繋がっている分だけ全部枯れる。一群(むら)が一斉に咲いて、 山枯れしたように見えることもある」
「そして親株が枯れると株分けした子株も、 それが全く違う場所においても同じ時期に、一年と違わず枯れてしまうんだ。 不思議だろう」
それは挿し木や株分けして増やしてもその命は延びないということか。 新しい命は花を咲かせて実をつけ枯死した竹の後にのみ誕生する。
京楽はなんだか少し哀しいと思った。
そう言おうとして浮竹が隣で透けているのに気が付いた。
「浮竹」
「じゃあ行くよ」
「待っておくれ」
透けて後ろの竹林が見える浮竹がこちらを見て普段の調子で言った。
「お前は、愛さなければ寂しいが、愛するとなお寂しいので、 我慢してじっと辛抱している」
京楽は狼狽した。
浮竹が微笑むので
「では愛してそして、きみがいなくなったら僕はどうしたら良い」
と問うと、
「そのまま京楽春水でいれば良い」
と言った。
その浮竹の思わず腕を掴んだ。






「暑気あたりか?珍しいな」

心配そうに覗く浮竹の顔があった。
そのままぼうとしているとふと笑って、
「外で寝るのも大概もう暑いぞ」
と言って傍にあった京楽の編み笠を差し出した。
竹林の側の木陰であった。
京楽は浮竹の腕を掴んでいる。
「京楽?」
身を起こしてそのまま浮竹の胸にもぐるように顔を埋めた。
「…竹の花の咲いたのを見たことがある?」
「ある。でも竹は、花が咲くと枯れるんだ。 根が繋がっている分だけ全部枯れる。一群(むら)が一斉に咲いて、 山枯れしたように見えることもある」
「ああ、そう言っていた」
「誰が?」
「きみが」
「寝ぼけているのか」
「なんだかだるいよ」
「すこし熱いな。いくら呼んでも起きないのに、 急に腕なんか掴むから驚いた。本当に具合が悪そうだ」
「それはどうするの」
浮竹は手に一筋の竹の枝を持っている。
「七夕だ」
無邪気に笑う。
「雨乾堂の竹が枯れたんだ。きっと どこかで親株が枯れたんだな」
京楽は急に迷子の子どものように浮竹が恋しくなった。
「なんだ。甘えているのか」
「甘えていいの」
「歩けるか?背覆うか」
「いいよ。恥ずかしいよ」
浮竹は竹の枝を持たせて京楽をその細腕で簡単に背負うと 歩き出した。
「恥ずかしい…」
浮竹は笑っていて答えない。
「帰って素麺でも食べよう」

背(せな)で響く浮竹の声を聞いた。












07022010

たまには…。半夏生には(7月2日頃)他に毒気が降るので井戸のふたを閉めるとか。毒気に当てられたウェットな京楽さん。 まだ思いを告げていないのでしょうか。



戻る