寧日 (ねいじつ) (「京楽花火大会」2010年参加作品) 梅雨はまだ明けないという。 しかし暑さは日々勝手にその濃度を上げていった。 今日が日もまたよく蒸す。 彼は元気でやっているだろうか、またどこかで倒れていはしないだろうか、 などと上の空で仕事をしていたら佳人の部下に怒られた。 夕刻になってその本人が隊首室にやって来た。 存外元気である。 「おや珍しい」 自分が彼の隊首室に訪ねるのが常なのである。 「やあ。仕事は終わったか」 「じきに終わる。あがんなさい」 彼は今日は休みで実家からいろいろ飴だの菓子だの 野菜だのと送られて来たのをあちこちに配って歩いていたと 上機嫌に言った。 彼は人に物をあげるのが好きなのだ。 仕送りをして家族の面倒を見ているのは彼の方だが、 こうして時々実家からささやかな贈り物が届く。 それは彼の両親からの気遣いと、彼の兄弟が 兄のために日々少しずつ集めた心遣いに違いない。 それを景気よく配り歩く兄もどうかと思われるが、本人が喜んでいるのだから 甲斐もあるということにしよう。 続けて彼は、 家の者は未だに自分が甘いものや駄菓子などを喜ぶのだと思い込んでいる、 あれは昔病弱で床についてばかりいたための楽しみであっただけなのだ、 だから金平糖は、非常に可愛らしくまた時間をかけられて作られた 良くできた菓子だという感想をはさみながら、 日番谷隊長と草鹿副隊長にあげたのだ、それで剣八にも酒を、 と立て続きによくしゃべった。 「剣八君は飲むのだったかな」 「あそこには飲む奴がいるんだ」 「それできみも」 「まあ少し飲んできた」 それからまた剣八が草鹿くんをよく守って いることについて好ましく思うこと、 日番谷隊長はその才気ゆえあの歳で隊長職を任されて苦労が多く いつも寄せている眉間のしわがどうとかいうことをひとしきり、 自分の仕事をする脇で話していた。 早く仕事を終えて飲もうと言われた時に気が付いた。 「浮竹」 「うん?」 「僕、今日、誕生日だ」 「…。そうだな」 「間があったな」 「ない」 「あった」 「ない」 「さ、酒を持ってきてやったぞ」 「それは配っていた余りでしょう」 「お前と飲むために残しておいたやつだ」 浮竹は 「とっておきのやつだ」 ととって付けた。 仕事が終わって奥へ入り、二人で少しくつろいでいると、 急に浮竹が 「どれ、じゃあ髪でも梳(す)いてやろう」 と言いだした。 「ええ?」 「お前は時々俺の髪を梳くだろう。今日は俺が梳いてやる」 「いいよう。別に」 「照れるな」 「照れているわけじゃなくて」 浮竹は立ち上がって、京楽の後ろに回った。 簪(かんざし)を抜いて結わいを解くと、ゆるやかにくせがかった黒髪が 肩に垂れた。 「おお。長いな。洗うのが大変だろう。何黙ってるんだ」 「勝手が違う」 ははっと笑って浮竹は京楽の髪に触れた。 うなじから一度手に束ねて掬(すく)いあげて、柔らかに背に落として散らす。 荒めの櫛で毛先の縺れを解いてから、だんだんに上に登ってくる。 「意外だよ…もっと荒っぽくされるのかと思った」 「上手いか」 「そうね」 「それに、人に髪を触られるのって気持ちいいだろう?」 「ふうん」 「なんだ」 「浮竹気持ち好いの」 「?」 「髪が好いの」 「…違う。人に髪を触られると眠くなる」 「どっちにしても色っぽく聞こえる」 浮竹は全体の縺れを解き終えると、今度はゆっくりと上から櫛を滑らせていった。 時々引かれ、時々戻り、また髪を持ち上げられると 自分の頭が軽くなって肩こりが和らぐ心地だ。 適度な強さで地肌が引かれる感じもよかった。 京楽は目をつぶった。しばらくその感覚を楽しむことにした。 部屋も程よい静かさだった。 徐(おもむろ)に浮竹がそっと呼んだ。 「京楽」 普段の彼にはあまり聞かれない、この彼の柔らかな声が好きだ。 きっと知っているのは自分の他に、数えても数は少ないだろう。 「京楽、お前は祝福されながらこの世に生まれおちた。 お前が生まれた時、お前の家の周りにはたくさんの天女が 降りて来てこの世ならざる音楽を奏で、 舞い踊りお前の誕生を祝福した」 「……浮竹どうした」 「いいから聞きなさい」 「また地上の北の方ではオーロラが空一面に輝いて人々を驚かせた」 「オーロラは放電現象だからあまり関係ないよ」 「お前の祝福の話だよ」 「さっきまで忘れていたくせに」 浮竹はこほんと咳払いをして、続ける。 まあ自分も忘れていた。死神の歳などいちいち数えてはいられない。 「宇宙では天の川に橋をかけている日数が、お前の誕生まで延長され…」 「無理が出て来た」 「うるさいな」 美しかったのは出だしだけかと苦笑する。 「俺はまだ時を待っていてそこに存在しなかったが、 お前と同じ時を過ごしたいと願って 無理に同じ時間と同じ場所に誕生した」 「…」 「だから俺の身体は少し病を患った」 「うき…」 「しかし辛うじてお前と一緒に生ききる時間は十分にあるように は作られることが出来た」 京楽は後ろを振り返る。天女の笑みで浮竹が言った。 「お前は祝福されながら生まれたんだ」 いつの間にか寝入っていた。 あれから二人でかなり飲んだ。 それが証拠に 畳に銚子が数えるのが怖いほど転がっていた。 ふと目を上げると向かいで浮竹もぐっすりと寝ている。 袴がめくれていてしどけない。 京楽は身を起こして頭をかいた。 普段よりすべらかに指が通って少し驚いた。 浮竹はいつから酔っ払っていたのだろう。 自分のところに来た時にすでに酒が入っているらしいことは 言っていたし、幾分(いくぶん)饒舌だった。 自分は本当に忘れていたが、浮竹はもしかしたら 憶えていたのかもしれない。 憶えていて忘れたふりをして 格好を付けたのかもしれない。 彼のすることは時々彼のみに理解しえる美学だ。 どこで覚えた作り話か、普段ないような話を浮竹は自分にした。 別段自分は家族に愛されなったとか祝福されなかったとか 思っているわけではない。 しかし あの時自分に酒が入ってなくて良かったと京楽は思った。 あんな子供だましな話でうかうかと泣かされるところだった。 しばらく自身の方がよほど天女らしい浮竹の寝顔を眺めていた。 次第に視界がぼやけてくるのでおかしいと思って 顔に手をやると、 すっとひつすじ頬が濡れた。 ああ、酒がまだ残っている。 と京楽は思う事にした。 了 06192010 |