夢見草




いざや いざや みにゆかん


絶え間なく散る薄い花弁に身を巻かれながら、一人歩く 京楽は手の中の杯をあおった。

夜の闇の花弁の中に、ふと静かにたたずむ影がある。
その面差しは端麗で、瞳には年少の頃には見なかった深い影がある。
それでもここのところはまた明るい光が宿るようになって来ていた。
彼もまたその昔には愛しい者と寄り添っていた。
桜闇に佇んで想うのは己の刀のことか今は亡き細君のことか。

こちらの心地もわずかに重みを得て、ぞろりぞろりと歩いていると 、今度は妙に明るい声がする。
凶悪なほどの霊圧が、なんだか丸みを帯びているようで可笑しい。
「…だから持って帰れねーよ」
「えー、なんでけんちゃんそんなこと知ってるのー?はっくがくう」
「うるせー。さあガキは寝る時間だ」
「けんちゃんあったまかたーい!」
「俺ももう帰って寝る」
「けんちゃんじじくさいーい!」

編み笠をさげて通り過ぎようとすると、意外なことに あちらから声を掛けられた。

「おい」
「はい?」
「さっきいつもなまっちろいのが、妙に血色よくさせて ふらふらしてたぜ」
「きょんちゃんお迎えー?」
きょんちゃん…。
「そう。一人だった?」
「たぶんな」
「どうも」
「知らねーよ」


彼はまた春先に病を得て寝ついている。 床を抜けて何をしているのやら。

さて僕の想い人は誰を想える。 いつの頃からか彼は誰も連れないで一人で出歩く。


桜は人を狂わせると思う。
まあしかしここにそんな弱いものはいない。
それでもなんだか夢見心地な気がするのは 絶えず舞い散るこの花吹雪の演出だ。

京楽はそんな狂気の美しさを感じながら、危ういところで こちら側にあってながむるのが好きなのだった。

それはたしかに少し酔狂だ。
自分は妙に危ういのが好きだ。
そして決して自分もそちら側には行けないのだと知っている。

甘い風が吹いて杯に花びらが入った。



ああ、本当だ危うい生き物が歩いている。

「浮竹、履物はどうした」
京楽が夜目の効く目で浮竹を見つけた。
足元を見ると裸足である。
顔色もなるほど上気して赤い。まだ熱が高いのだ。
「まるで夢遊病者のような格好だなあ」
京楽が言うと浮竹は無頓着に、
「ああ、紐を結ぶのが面倒でそのまま出てきてしまった」
と言った。
「足袋は」
「足袋はちょっと見つからなかった」
「怪我しないかい」
「しないよ」
「どれ」
京楽が浮竹の額に手を当てると、案の定ひどい熱だった。



手を貸すと言うのに一人で歩くと言い張る浮竹に雨乾堂まで付き添う。
「綺麗だなあ」
浮竹がのんきな声で言う。
闇に白く発光して歩く浮竹は、風が吹けば花びらに撒かれていなくなりそうだ。

「持って帰れない」
京楽が唐突に言うので、浮竹は首を傾げて振り向いた。
京楽はコホンと下を向いて編み傘を正した。
「なんだい」
「ああ、いやその。桜の枝を手折ってはいけないのを知っているかい…」
「しないさ」
ばつが悪くなった京楽はとってつけて説明した。
「桜はね。木を傷つけるとそこから腐りやすいんだよ」
「だからいくら綺麗で欲しくても 切ったり折ったりして持って帰ることは出来ないんだよ」
いくら綺麗で欲しくても。
京楽は吐息で言う。
「京楽、酔っているな。こうして見るだけでいいよ」
「そうかな」

浮竹の傷はちゃんと手当てがしてあるのだろうか。
傷を受けるとそこから腐る…
浮竹の薄い胸をトンと突く。
「君のことだからきっとほうってあるに違いない」
切なくなってこの自分の片恋の想い人を抱きたくなった。


降り積もった花びらを巻き上げてふわりふわりと 浮竹が歩く。
漆黒の袴から白いくるぶしが見え隠れする。
自分はやはり危ういのが好きだ。

霞か雲か〜においぞいずる〜

浮竹が大して上手いとはいえないが下手でもない歌声で歌う。
その微妙に不安定な歌声が京楽には愛おしい。募る思いを打ち明けないのは この今の友より近しいような距離を無くしたくないからだ。

「君やっぱり草履でも履きなさいよ」
「花びらが温かくて面白いぞ」
「だいたいさ」
「なんで君はいつも…」
浮竹がその場にくず折れる。
羽織が花びらを巻き上げて、白い髪がなびいた。
「浮竹」
取った手が熱かった。
「気分が悪い…」
「当たり前だ」
浮竹は京楽を見て少し笑うと、そのまま意識を失った。



絶え間なく散る薄い花弁に身を巻かれながら、 京楽は黙って浮竹を背負って歩く。

本当は浮竹がいつまでも傷ついていれば良いと思っているのかも知れない。
傷ついたそこから腐っていけばいいと思っているのかも知れない。


腐っていく浮竹を知っていて助けずに 自分ひとりが見続けることで独占したいのかも知れない。







「…またここだ」

見慣れた雨乾堂の天井が見える。
目を覚ました浮竹が呟いた。
「自業自得」
京楽は厳しい顔だ。
「俺の景色は夢とここの天井きりだ」
京楽の毅然は早くも萎えそうになる。
「君…外に出たんだよ。憶えてないの」
「ああ、あれは夢ではなかったんだな」
京楽はため息をついて、
「退屈なのは分かるけど、なんでそういつも一人でふらふら出歩くの」
と言った。
すると浮竹がこともなく言う。
「時々、お前が釣れる」
京楽は口を開いたまま黙る。

「あ。本当だ」
浮竹は自分の着物に付いた花びらを見つけ、一片拾い上げて 唇にあてると、ぶーと吹いた。











04302010
夢見草は桜の異称です。お互い思いあっているのにそこから動けないおっさんたちの恋愛…。
あと!浮竹声の石川英郎さんは、音大声楽科ご出身で歌はとても上手です。


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