春燈   (しゅんとう)




「今夜、月の見える時刻に」

気取ってそんな約束の仕方をしたのがいけなかった。
京楽は雨乾堂に一人上がりこんで酒を飲んでいた。
堂の主は夜になっても帰って来ない。
周囲にはほんのり足元を照らす灯りが灯っていた。

つらつら飲んで湖の音を聞いていると、 良い心地になってくる。
こんな静かな場所に隊首室を持つ男は贅沢である。
半面こんな別邸のような場所でほとんど静養している男は 気の毒である。


風が温(ぬる)んで、桜がほころび始めていた。
「優れた美人、純潔、精神美…」
京楽は独り呟いて、目を細める。




「ああ。京楽、来ていたか」
軽快に歩く音が近づいてすぐに声がした。
「うん」
「待ったか?」
「待ちくたびれた」
京楽はだらけて起き上がらない。
「結構飲んだんだな」
「そうお?」
「お前はいつも飲んでいるよな」
「ふふん。いつもほどよく酔っ払っていたいの」
「腹が減った。何か持ってくる」
立ち去る浮竹の姿を京楽は寝そべりながら見やる。
「優れた美人」
「なんだ」
「なにも」
著しい京楽や他の者も少しはしているそのようには全く着崩さない、 きちんと基本のまま身に着けている死覇装に隊長羽織。
浮竹が歩を進めるたびに、黒い袴の下から白い足袋が見え隠れする。
割りに大股で歩くから、 ひらりとひらりとひらめく袴と足袋の間から足がまま見える。
それも白い。
眺めていると浮竹が振り返ってもう一度「なんだ?」と言う。
「眺めがいい」


食べ物を載せた盆を持って帰ってきた浮竹のその盆を置くのとほぼ同時に 、京楽が手を引いた。

「春の宵というのは」
艶(なまめ)かしくていけない。

「こら」
「いいじゃない」
京楽が浮竹の顎をついと引く。そのまま口付ける。柔らかに。 一度離れてそれからもう一度。今度は舌を使ってやった。
形の良い薄い唇を舌でなぞると、浮竹は首をわずか上向かせた。
短く呼吸する。
京楽は体重を掛けて浮竹とともに畳に倒れた。
耳と首筋にも舌を這わせる。
浮竹の閉じたまぶたが微かに震える。
「京楽」
浮竹は肩まで落とされた着物の襟を一度戻した。
襟を掴んだままのその手を胸に当てて視線をそらす。
その手をそっとのけて顔を埋めると胸を吸った。
鼓動が早い。

純潔…

京楽は唐突に激しく着物を開いた。
浮竹が少したじろいで身を引いたが無視した。
浮竹の身体の戦慄(わなな)く方へ方へとを手を這わせる。
浮竹が呼吸するので精一杯というふうになるまで京楽は無言で追い詰める。

「京楽…どうした」
「うん」
「熱い…」
「うん…」






「重い…」
浮竹はその重い、逞しい体に圧し掛かられたまま、呟くと声が少しかすれた。
乱れた着物の内側が濡れている。
気だるげにそのまま寝転げていると京楽がこちらを覗いてきた。
いつもの、優しくて少し不安げな目だ。
「なんだ」
「ごめん」
「何故謝る」
「うん」

君は本当は僕とこうしなくてもよかったんだろうと思う。
体を合わせなくたっていつまでも同じに側にいてくれたんだろう。
拒まれたこともないが、浮竹から身を寄せてきたことも一度もない。

優れた美人、純潔、精神美…
求めるのは僕
汚してしているのは僕

「京楽」
「なあに」
「また何か考え込んでいるな」
「ちょっとセンチメンタルなこと」
「俺は腹が減ったよ」



浮竹は食事をすましほろ酔いに落ち着いた頃、
「さっきのはなんだったんだ」
と問うた。
「桜の花言葉」
「ふうん」
「それはまるで君のこと」
京楽は手にある杯を止めて、ふと
「…あれ。確かもう一つあった」
と言った。
「…淡白だ」
優れた美人、純潔、精神美、淡白。
「もしかして浮竹って淡白なだけっていうのはあるのかい?」
「淡白?」
「だからさ。そっちのことに対して淡白」
京楽はくっくっと笑った。
どうせ言葉の上のこと、センチメタルな自分のロジックだ。
「これは参った」
さらに仰向(あおむ)いて笑う。
「なんなんだ。京楽春水の酔っ払い」
「いやあ、まいった」




優れた美人
純潔
汚しているのは僕
精神美










04302010
桜の花言葉を知ったとき、うっきーじゃ!と思い申した。


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