ガジェット 3 −楽々探偵事務所− 「これは良い反応だ」 男は慇懃にそう言って笑むと、机の上で両の手を組み合わせた。 「…どうも」 翌日のことである。 京楽は都内の大きな精神科病院施設にいた。 「手紙を送ってきたのはあんただね」 「彼に聞きましたか」 「いや…おかげで浮竹は今ひどいよ」 「それは可哀相なことをしました。でも必要なことでしたので」 京楽は黙って白衣のネームプレートを睨んだ。 「それにあれは、僕たちのちょっとした遊びです。昔からの」 「…」 男は一つ頷いた。 「自己紹介が遅れました。ご存知の通り 僕が藍染惣右介です。お会いしたいと思っていましたよ、京楽春水さん。 僕は浮竹十四郎の研修時代の師であり、彼のカウンセラーです。 まずはお礼を言いましょう。僕の大事な浮竹を守ってくれていて、ありがとう」 男は京楽の表情を眺めながら革張りの椅子に背を預けた。 「さて、大事な患者の順番を蹴って この僕のアポイントメントを取れたのというのはどういう仕組みでしょう」 「ちょっとしたコネがあってね」 「貴方はそういうことを嫌う性格だと推測しますが」 「好みを選んではいられない時もある」 「賢明です」 「…浮竹に何をした」 「不躾ですね。まあいいでしょう。僕は彼の 記憶の蓋を、そっと開けただけですよ。僕が出かける前に かけて置いた一つのガジェットです」 「僕は精神科医であり医者ですが、 その後臨床心理学も修めました。 先程言ったように、彼に対しては病理分析ではなく カウンセラーという立場で接していました。 同時に研究者としてもとても彼に興味を惹かれます」 「しかし僕の海外赴任の間、彼が苦しんでいても ケアをしてあげられない。だから僕のその間だけ ちょっとした蓋をしてあげたんです」 「…蓋をしなきゃあならないようなことを あんたはしたんだな」 それには答えず男は言った。 「彼の能力は素晴らしいです」 「…」 京楽は鬱蒼と顔を曇らせ、男をじっと見て言った。 「あんたは催眠術をやるらしいね。かけたな、浮竹に。かなり頻繁に」 「僕が嘘をつくかどうか見ていますね。僕が目を逸らさないのは 僕が嘘をついているのを貴方が信じるかどうか観察している からではありませんよ。それからそれは正確ではありません。 彼と接する時にはいつでも、です」 京楽がぎりっと奥歯を噛む。 「彼ほど怖い人はいません。僕には秘密がありますから」 男はゆったり微笑む。 「羨ましいですか?」 「その時の彼はそれは従順に僕の言うことに従います。 何にでも。どんなことでも」 男は京楽の反応を待ったが、京楽はかろうじて沈黙を保った。 「まあ、そのような催眠はそれもまた僕のちょっとした遊びに過ぎません。 目的は彼の能力を高めることにありました」 「それは浮竹の望んだことかい」 「彼は自分の能力を人の役に立たせたいと望んでいました。 そして僕と接していく中で彼は実に優秀に能力を高めました」 「それで浮竹は壊れた」 「彼が自分で自分を支えきれなくなったら僕が助けます。 僕は彼をまるごと引き受けたのですよ」 「放り出して海外へ行ったのは無責任じゃないのか」 「貴方に預けたつもりでしたが?貴方は誠心誠意彼に尽くしてくれたでしょう。 それとも荷が重すぎましたか?」 京楽はもう一度奥歯を噛んだ。 「あなたに預けた理由はもう一つありますよ。残念なことに今僕は彼に嫌われています」 京楽は席を立った。 「どうも邪魔したね」 「もうお仕舞いですか。何の対策もなしにいらっしゃったようだ」 「顔を見に来たんだよ」 「そうですか。では、どうにもならなくなったら浮竹を連れてまたいらっしゃい。 僕はいつでも待っていますよ。そう彼にも伝えて下さい」 「覚えていたらね」 京楽がドアノブに手を掛けたとき、藍染が今までとはまるで違う 暗く深い響きのある口調で言った。 顔を見なくても分かる。彼はまた高慢に笑んでいる。 「浮竹はいずれまた私を選ぶ。それまでどうぞよろしく。 出来るだけ優しくしてやって欲しい」 「…僕も浮竹も、お前さんの手駒にはならないよ」 奥歯が疼く。確かに何の考えもなしで来た。 ただじっとしてはおられなかっただけだった。 「実際催眠術っていうのはどれくらい確実性があるの?」 「不確実だヨ。まあでも受け手の人間によって変わるとは言えるネ。 かかりたいと思っている人間は簡単にかかるが、 お前さんのようなのにはまずかけられないヨ」 「ああそう。安心した」 京楽は今朝の電話を思い出した。 ということは浮竹はかかりたいと思っていたっていうことか。 いや、単に自分のカウンセラーとして信用していたのだろう。 浮竹はほとんど、疑うということを知らない。 そして一度かかってしまったのだったら、 次も自分はかかってしまうと思うのだろう。 藍染は「今自分は嫌われている」と言ったが、 浮竹のあれは恐怖と拒否反応だ。そしてもう一つ、 明らかに感じたことは、藍染が浮竹の感情感知を「能力」というのに対し、 浮竹は「体質」という言葉を使うということだ。 もう浮竹は藍染と決別しているのだ。 そう思いたい。 京楽は振り返って眺める。浮竹が大学院を卒業し、 開業するまで研修を積んだ場所。 軽く触ったところでは特に醜聞もなかった。優秀な人材を揃え、 また育成にも力を入れている。 ただ、開業された浮竹の部屋にあった、あのような温かさはまるでなかった。 正確に、自分を解体される場所、のような感じがした。 京楽はその足で、自分の古い職場に向かう。 「どうも」 鑑識課の部屋の奥、スクリーンに映した映像を猫背気味に見ている 白衣姿の男に、京楽は後ろから声をかけた。 「…警備の手薄い建物ダヨ」 男は振り返ぬまま返事をした。 京楽がまだ公僕だった頃、何度か一緒に仕事をした風変わりなその男が、 今朝の電話の相手だ。 ほとんどあてずっぽうな電話だったがしかし、藍染は時折犯罪心理のアドバイザー として助手を伴ってここに来ていたこと。その助手というのが 浮竹だったと確認できた。 それでちょっと嫌な親戚に頼って、 戻って早々予約が一年先までいっぱいの藍染の患者の中に ねじ込んでもらった。 「僕にはいまだきみが組織の中にいるということが不思議だね」 「僕はきみほど愚かじゃあナイ。ここにいれば少なくとも 研究ができる。最先端までとはゆかないが、まあ 先端の技術でネ。小さな自尊心を立たせるために それを無駄にするほど愚かじゃナイ」 「きみほど自尊心の強い奴をあまり知らないが」 「ダカラ。そんなことで折れるようなか弱い自尊心じゃないんだよ 私のは」 「それはどうも弱くて悪うございましたね。 …なんにせよ助かったよ。成果を聞きたくない?」 「興味ナイヨ。そんな暇もナイ。すぐラボに戻るからネ」 「あ、そう。口喧嘩にその場しのぎに勝っても意味がないってとこよ」 「興味ナイと言っているんだヨ」 「じゃあなんで待っていてくれたのよ?」 立ち去ろうとする京楽に涅マユリがぼそりと言う。 「…あの男の助手だった男はどうしていた」 「…。だから親切にしてくれたの。それが知りたかったから? なんと今は僕の助手。それでまあぼちぼち元気」 京楽は楽しそうに言った。 「何でそんなこと聞くの?」 しかしもうマユリは口を利かなかった。 京楽はビルの外に出た。 ぐん、と伸びをする。 空が青い。 end 06192010 なんとなくマユリ様をチョイ役で(失礼)出したくなってしまう。 「バウント篇」のはじめの方で、京楽さんがマユリさまにぼそっと何か言うシーンがあって 聞き取れなくてボリュームを異常にあげて何度も聞き返したら「いつか地獄に堕ちろ」 って言ってた衝撃…(笑)。オリジナルストーリーでしか出来ないことです。 |