LIVING TIME          −楽々探偵事務所−




「なぜー咲くのお。恋の花ー」
煙草の煙がすーっと昇る。
「なぜー震える。恋の花ー…」
歌いながら朝食を作っている。
朝の遅い明るい日差しの部屋である。

先ほどから起きた気配のある浮竹は、しかしなかなかベッドから出てこない。
「誰のー涙もー見たくはないよ。」
京楽はぽん、と煙草を灰皿に置いてそちらに向かった。
白いシーツに乱れ髪。
「浮竹」
「…ううう…起きたくない」
げに低血圧とは厄介な。
「そのまま寝ていてもいいよ」
「…ううう…生きたくない」
寝起きの浮竹は本当にそう思っているから怖い。

「…何にも感じたくないんだ…」
京楽はベッドの隅に腰を下ろした。





エレベーターと言うものはほんの小さな地震にも弱い。
閉じ込められた。
撤収中、張り込み機材を乗せたエレベーターが止まった。
だから嫌だったんだ…。
エレベーター内には京楽ともう一人、白い長い髪を後ろに括った男が いた。
参った…。
皮膚がざわつく。
京楽は一、二歩ゆらりとよろめくように後ろに下がった。
どんと壁に背がつく。
白髪の男が後ろを見やった。
京楽は首に手をやり、ぐいっとネクタイを緩めた。
下を向き、こぶしを握って口元に押し付ける。


「どうかしましたか?」
柔らかな声で白髪の男が聞いてくる。
「いや。その」
血の気が引いて、目が回る。
「失礼ですが、ご気分が悪そうに伺えますが」
どう答えよう…そう京楽が困窮していると、
男はふむ、と考えて
「そういう時は、例えば自分はこのエレベーターから絶対に出てやるもんか、 と思ってみてください。」
と微笑んで言った。
「?」
上目遣いに男を伺うと、 男ははじめに立っていた同じ場所で、穏やかにこちらを見ていた。
藁にもすがれだ。京楽は素直に倣った。


程なくゴゴンと音がした。 続いてモーターのような音。
「ああ、良かった動きますね」
「すぐに一番近い階に降ろしてくれますよ」
男はにっこりと笑った。
エレベーターは止まり、扉がのろのろと開く。
二人は狭い空間から解放されると、 京楽は廊下に出たところで足が萎えて座り込んでしまった。
「狭いところが苦手ですか」
白髪の男がその細いからだに似合わず意外に威勢よく 自分の荷物を出してくれている。
「ああ、すいません…」
「さっき言ったのはまあ、ただの思いつきです。 効く人と効かない人がいますし」
「あ、いや。助かりましたよ…」
「それは良かった。ああ、営業するわけではないんですが、 俺の仕事です」
にこっと笑って廊下の各階解説の看板の二階をコツンと指で弾いた。 心理カウンセリングなんたら…と読めた。
「浮竹と言います」
浮竹はエレベーターから降りて初めて京楽の元へ近づいて、
「必要があらばお気軽にどうぞ」
と言った。

京楽は真顔でじっとその顔を見ていたが、
「浮竹か!」
と声をあげた。しかし浮竹は微笑んだまま少し首をかしげた。




そしてあの日、部屋中の物という物がすべて壊れ、散らばり、 その中に浮竹が呆然と立ち尽くしていた。
弾けるように駆け寄った京楽に言ったわけではない。
独り言のように浮竹は、
「そこらじゅうのものというものから思考が流れてくる 。気が狂う」
と言った。





ああ、吸いかけの煙草に未練が残る。

京楽はベッドの隅で伸びをした。
ごそごそと音がする。
「浮竹」
「起きる」
「よし朝食にしよう」
京楽は立ち上がりながらもう一度呼びかけた。
「浮竹」
「なんだ?」

「この手でよかったらいつだって掴まれ」

そして続きは口に出さないで背中で言う。



今日も君のことを 愛してるよ







end


03152010



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