トイトイトイ 5.天使 *(注) 終わりのほうにぬるく性描写ぽいものが入りますので苦手な方はご注意ください。ぽいだけですが。 オレンジ色の陽がステンドグラスの高い小窓から差し込んでいる。 その小さなホールには、もの哀しいメロディが流れていた。 差し込んだ陽の明るい部分だけ、たゆたう埃が見えている。 ステージの真ん中に置かれた年代物のグランドピアノは、 ポロンポロンとそれらすべてと調和するように鳴っていた。 それは京楽が一人のときに好んで弾く曲であった。 いつの間に入ってきたのか、誰かがホールの椅子に座っている。 京楽はそれに気づかなかったのかも知れない。 あるいはピアノの音に合わせて寄り添うように響きだしたその声が 、今までの調和を何一つも壊さないために気づかなかったのかも知れない。 透き通るようなその歌声は、彼の身体からぬけて ホールの天井までふわりと浮き、そこから光のように柔らかに降りてくる、 というような奇跡だった。 京楽はぼんやりとその空間に存在していた。 彼を見ると衣服も肌も、どういうわけか髪の毛さえも真っ白であった。 そこに透き通るグリーンの瞳が潤んでいた。 ああ人間ではないのだな、と京楽は思った。 ああ、これが天使か。 「『亡き王女のためのパヴァーヌ』だな」 曲が終わると天使が言った。 「あの頃はまだ曲名も知らなかった。お前のピアノで初めて聴いたんだ」 真っ白な天使がこちらに歩く。 「何を呆けている」 「…僕は」 「僕は夢を見ているのかい?」 天使が微笑む。 「いいホールだ。音の響きも申し分ないし、 小さいのに天井が高い。これなら照明が無理なく入る。 楽譜が読めなくなる演奏者も出ない。ご両親はとても音楽を愛していたんだろうな」 そこで京楽がそぐわぬ大声をあげた。 「だってお前さん、年なんて俺とそう変わらないだろう!」 天使は破顔する。 「あっははははは!鈍いな、意外に。ふっふっふ、はは」 しばらく笑っていた後言った。 「幼い頃は身体が弱くてな。よく病気をしていて 成長も遅かった。年より幼く見えたかも知れない」 京楽がぱくっと口を開ける。 「フィンランド語だ。両親の生まれが向こうでね。 歌詞のないこの曲に、即興で適当に歌った。今も」 浮竹はピアノに近づく。その手を取り、京楽は引いた。 そして口付けた。 「キスしてもいいかい」 「もうしている」 「…ずっとこうしたかった」 襟元を開ける。 「あのあとすぐにこの町を出たんだよ… このホールが好きだった。時々弾いているお前のピアノも …歌ったのは初めてだった。最後と思って…」 「ああ、だから」 「だから泣いていたかも知れない」 「…触ってもいいかい?」 京楽は浮竹の腰に手を回して自分に引き付けると聞いた。 「もう…触っている」 京楽は浮竹の足の間に手を差し入れて付け根に触れた。 浮竹がわずかに顔をそらす。 京楽が口づけを深くして執拗に撫でると浮竹は目を閉じた。 「こっち」 京楽は浮竹を中央のピアノから舞台袖へと誘(いざな)い、 二人はビロードの深い赤色のカーテンに絡まった。 口づけは耳から、顎、首筋へと下がっていき、 あの夜の鎖骨に届く。 京楽は浮竹の息遣いを頭上に聴いた。 少し荒い。 「…舞台衣装だから、汚すと海燕に怒られる…」 「分かった。丁寧に扱うよ…」 陽は落ちて、ホールはぼんやりと暗い。中央のピアノにだけ、照明が当たっていた。 京楽には正しいのに夢のような、マグリットの描く油絵みたいだった。 「知らないで…長い…初恋をしていた」 「俺はずっと知っていたよ…だから戻ってきた」 天使の瞳はまだ少し潤んでいた。 続 02182010 |