トイトイトイ      3.到着



「先生!!何で濡れてるんですか!!!」

京楽の思考はしごく堅実な響きを持った人間の怒声で遮られた。
先生こと浮竹十四郎の到着を見るや否や、海燕がそう怒鳴ったのだ。
彼の良く通る声はホールまで響いた。
京楽と七緒はそろって男を眺めた。
浮竹は、真っ白な長い髪を優雅に流したすらりとした長身の、男であった。
特筆すべきはその明るい緑色の瞳であった。翡翠色、とでも言おうか。
そして京楽は少しめまいを憶えた。

「傘は?」
か、に強くアクセントを置いて海燕が言う。
「それ」
浮竹はなんとなく小首をかしげて、海燕の持っている傘を指差した。
「ああああ。そうです!これは雨が降りそうだから持って行ってくださいと 言ったせ・ん・せ・い・の傘です!なんで俺…いえ私が持っているんですか!」
「や。え?」
「先生が話の途中でふらあ〜っといなくなったからですよ!!」
「すまん」
「で、無かったら途中で傘買ってください。大人なんだから!」
「いやでも、だってその傘持ってるし。買うのお金がもったいないなあと思ってね」
「大丈夫です!!!」
浮竹十四郎は、仕立ての良いミント色のコートに身を包んでいる。
海燕の持つ傘も、旅行用のトランクも、どれも品の良い高級品と見て取れる。
「雨に濡れると絶対に風邪を引くんですから!本当に気をつけてください」
「ごめんごめん」
と浮竹は笑みをこぼして謝った。
「で…何でこんな遅くなったんですか?」
「んー少し…迷って?」
「俺はこの町で育ったんだ。『いわば俺の庭だ』とか言ってませんでした?」
「俺の庭」部分は嫌味で男を真似たのだろう声音で海燕が言う。
「いやその。うん。すまん」



浮竹にはすぐにシャワーを浴びてもらうことになった。
もともと宿泊は京楽の持つホテルにとってあるのを知っていたが、 世界的に高名な音楽家をお泊めするような建物では決してない。
しかし浮竹は
「近いし、落ち着くから」
と答えた。
京楽は初めて浮竹の顔を正面から見た。
また少し、心の内側がざわめくのを感じた。
「館長?」
七緒が察して尋ねる。
「ん。いやなに。」
「やっぱりいい部屋だなあ」
浮竹が明るく言う。
「先生はもう黙ってください。そして早くシャワーを。館長、加湿器をつけてもよろしいですか?」
海燕が聞いてきた。
「ああ、どうぞ」
海燕には空気清浄機や空調設備について、宿泊予約の際に事細かに尋ねられた。
音楽家は大抵自分用の加湿器や何やらを持ってくるが、浮竹はまた極端に咽が弱いのだという。
そのための気遣いは相当なものだった。

「何かあったらこのダイヤルを。フロントにつながるから」

極度の方向音痴で、さらに極端に咽が弱いオペラ歌手…
付き人の苦労がしのばれた。




翌日、浮竹は高熱を発した。









01302010

うっきー登場。




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