クライ・フォー・ザ・ムーン (Cry for the Moon) 京楽は四番隊の廊下を歩いていた。 夕日が斜めに差し込んでいる。 静かだった。 そっと個室の戸を開けると、そこに浮竹は寝ていた。 顔色はまだ悪いが、規則正しい寝息をたてていて京楽は少し安堵した。 浮竹の寝方は普段のようにきちんと仰向けにしていて、 少し微笑ましかった。 浮竹はこうして人形のように眠る。 だからあまり寝乱れるということがない。 病床の浮竹をいつ見舞っても、浮竹の周りや着物はすっきりとしていた。 ただの性質かもしれないが、床に伏している時間のほうが元気にしている時間より 多いくらいの浮竹の、身についた習慣のようで京楽は今度は悲しくなる。 京楽はすがるように身をかがめて浮竹のベッドに伏し、深くため息をついた。 度を失った。 自分たちのような者が自分を制御できなければどうなるか、 知らない自分ではなかった。 霊圧のない者や弱い者に与える影響をいつも配慮し行動した。 むしろあまり頓着しないのは浮竹のほうだった。 京楽はただ恐ろしかった。 浮竹がいなくなることが恐ろしい。 浮竹がいなくなることは自分を失くすことだ。 「うきたけぇ」 「なんだ」 京楽はがばっと顔を上げた。 浮竹は寝たまま、小首をかしげるようにしてこちらを見ていた。 「…おはよう浮竹」 「どうした?」 「浮竹が起きててびっくりした」 浮竹が白い顔で笑う。 「驚かせて悪かった」 浮竹は数日前の明け方、ここに運ばれた。 急な発熱と高熱によるショック状態と持病の悪化。 「ここに来る時はいつも、だいたいごちゃ混ぜなんだ」 「もう気分は大分いいかい?」 「ああ」 浮竹に嘘はない。 相手に心配をかけまいとする配慮と嘘とは、境界が曖昧であるだけだ。 少しの間、陽が落ちるのを二人で見ていた。 途中、浮竹の点滴を換えにここの者が一人来た。 「浮竹」 「うん?」 「僕、寂しいよ」 「うん…」 浮竹の目蓋がゆっくり降りる。 「浮竹?疲れたかい」 「少し…身体を休めるように、眠くなる作用…が点滴に…」 「うん。もうしゃべらないで、眠るといい。また夜来るから」 返事をせずに、浮竹は眠ってしまった。 「こんばんは」 部屋の明かりがついていたので、京楽は声をかけてドアを開けた。 「これ、七緒ちゃんから」 「ありがとう。綺麗な花だ」 浮竹は起きていた。 窓が開けられている。 「あんまり夜風を浴びるのは良くない」 「ああ。でも月がきれいなんだ」 「本当だね」 「浮竹、何か欲しいものがあったら言って」 「ありがとう。特にない」 「何も?」 「ああ」 「浮竹は入院すると大人になる」 「なんだ」 「僕としてはつまらない。いつもの変な浮竹が恋しいよ」 「変」 「そう」 京楽は話題を変えた。 「ここのご飯はおいしい?」 「まだ食べさせてもらえない」 「ごめん」 失敗。 「いや」 「それじゃあ楽しみがなくてつまらないね」 「いつも、すべてから置いていかれるような気がする」 間をおいて、浮竹が言った。 「浮竹…」 浮竹は京楽を見ると笑って、 「そんな顔をするな」 「どんな」 京楽は言われて口をへの字に曲げておどける。 「夕方も、そんな顔をしていた」 「大丈夫、病気と付き合うにはちょっとしたコツがあるんだ」 「コツ?」 「心を静かに落ち着けて、例えば」 浮竹は腕組みをしようとして点滴のチューブを引っ掛けそうになる。 京楽がそっとほどいてやった。 「…」 「浮竹?」 「例えが難しい」 「なんだいそれ」 浮竹は困ったという顔をして京楽を見た。 「じゃあ例えじゃなくていいよ」 京楽は笑って言った。 「うん。水が飲めるとか、お前が来るとか、話が出来る…」 「俺の外に世の中があることをいったん忘れるんだ…いや、これを言うのはやっぱり止めておこう」 「あらら」 「君の世界には僕以外いないっていうこと?」 「ちがうぞ」 「…」 京楽はこぶしを作ってコホンと言って改め、 「残念。ようは高望みをしないって言うこと?」 と聞いた。 「…うーん」 しばしの沈黙の後、京楽が真面目な、優しい声を出して言った。 「浮竹」 「なんだ?」 「言えばいいんだよ」 「叶わない望みを言うといい」 「?」 「無理を言って僕を困らせるような」 「いつもの浮竹みたいに」 「困らせて泣いて」 「京楽…」 京楽は浮竹を自分の胸に抱き寄せた。 「…お前はあったかいな」 「そう?」 「いつも疑問に思っていたことがある」 「なあに?」 「そんなに着物をはだけていて腹が冷えないか」 「…」 「なあ」 「いつもそんなことを疑問に思っていたの?僕を見て」 「毛があるからあったかいのか?」 「浮竹ぇ」 浮竹は京楽の腕の中でくつくつと笑った。 それから 「クライ・フォー・ザ・ムーンだな」 と言った。 「なに?」 「月を取ってと泣く子ども」 「無理難題を次から次へと言って困らせる子どものことだよ」 「浮竹死なないで」 京楽が言った。 「ああ」 「僕を一人にしないで」 「ああ」 「早く元気になって」 「ああ」 「また酒を飲んだり」 「ああ」 「キスをしたり」 「キスは今でも出来る―」 京楽は浮竹が言い終わる前に浮竹の唇に触れた。 閉じられる前の開いた唇に噛み付いて、舌をいれ、中を舐めた。 きつく吸って、緩め、また中に入った。 「ん…」 浮竹の甘い声が部屋にそっと響く。 京楽は浮竹に絡み付いて、浮竹は京楽に寄りかかり、 二人は長い長いキスをした。 了 10072009 |