雪桜 暦(こよみ)が春になってから降った雪はまるで手遊びに千切った綿雪で、 着々と積雪を上げながら降り止む気配がなかった。 真夜中になっても仄明るい闇が、周囲の音を全て吸い込んでいた。 過剰に暖められ加湿してある室内は結露して濡れているのに、 彼の咽喉は乾燥してひりついている。 一呼吸ごとに彼の肺が酷使される。 浮竹がまた発熱していた。 京楽は側にいて、それ以外ほとんど何の役にも立たなかった。 それでもいつもそうであるように側に居ないではいられない。 この友人のこんな姿をただいつもこの自分だけが受け止めていたい。 というのは独占欲なのかということについて考えないようにした。 京楽は立て膝で壁に寄りかかり、外のまるで気配を無くしたような重い気配を感じて目を眇(すが)めた。 少し寝た。 翌朝、空は青く晴れた。 障子越しの柔らかな朝日が差し込む。 この分だと積もった雪も次第に溶けるだろう。 彼が起きる気配を見せる。 京楽はすぐに気が付いて目を合わせた。 「気分はどう」 「うん…」 「すごい雪だったよ」 浮竹は京楽から目線をはずして天井を少しの間見ていたが、 あ。と小さく言うとそのまま 「…桜」 と呟いた。 「浮竹?」 「桜が咲いたな…」 「浮竹」 「京楽、これは桜が咲いたぞ」 少し笑う。 「しっかりしておくれよ。それはまだ先だ」 「花見に行くか?」 「ああ。そうだね。桜が咲いて君が元気になったら行こう」 「きっと、咲いた」 楽しそうに言う浮竹は何を見ている。 ふふん、と浮竹が重ねて笑う。京楽はちょっと泣きそうになった。 「京楽。お前、少し寝るか?」 「大丈夫だよ」 「ずっとそこに居たんだろう?体が持たないぞ」 「割合と丈夫に出来ているからね」 「毎回毎回来なくてもいいんだ」 「毎回毎回心配なんだ」 浮竹は水っぽい瞳だけを少し流して、視線を落とした。 それがとても綺麗だった。 そしてふとまた笑った。 「浮竹。あまり笑わないでくれ。いや笑うのはいいことだけど そう笑わないでくれ」 「何を言っているんだ京楽」 「んんん」 「眠い時と腹が減っている時は人の話を聞くのに 最悪のコンディション」 と息をついて続けて、 「だとお前が言っていた」 「寝るのはともかく食べてないのは君の方だよ」 「食べている時間は、多分ない」 「何」 浮竹が頭をがしがしっと梳(と)くと京楽に 「ちょっと手伝え」 と言った。 「何の時間」 「早く、俺を起こすのを手伝え」 「浮竹」 「そしたら俺をその背に背負え」 「浮竹、何の時間」 「いいから。外へ」 「浮竹!だめだよ」 「お前の寝ないのも俺の食べないのも話を聞くのには悪いかもしれないが、花見だからよかろう」 「はい?」 「外へ出る」 「馬鹿言うな」 「行くぞ」 「浮竹!」 京楽は浮竹の頬をぱちんと打った。 「っと…ごめん」 「ごめん浮竹。だけど僕はいつもいつも君の言いなりにな…ごっ」 浮竹が京楽の腹を蹴った。 「どうだ。腐ってもタイチョウだからな。上手いか?」 「…上手くないよ」 浮竹が立ち上がって外へ向かう。 「外は寒いよ浮竹」 「そこの着物を羽織れ」 「僕じゃないったら」 京楽は上着を掴んで追いかけて行って浮竹ごと羽織った。 「もう少し」 結局背で浮竹が言う。 「僕は何をしているんだろう」 「俺を背負って歩いている」 「いや、こんなことは絶対に止(と)めるべきなのに毎回毎回君に流される自分が不甲斐な」 「ほら!やっぱり!」 遮って浮竹が歓声を上げる。 「これは…見事」 それは見事に花をつけた桜の木であった。 七重八重の花弁の真っ白な桜の大木であった。 しばらく黙って二人で見ていた。 背で浮竹がくしゃみをしたので我に返った。 それは、まだ冬枯れの木の枝に、雪が積もって満開に咲いているのであった。 「これはもともとちゃんと桜の木なんだ」 「へえ」 「そしてこうなるのは稀なのだ」 「うん」 「うまく雪が降り積もって、朝、まだ日に溶けないうちの時間だけ見られる」 と言って浮竹がまたくしゃみをした。 「寒い?」 「平気だ」 「帰るよ」 「ああ」 浮竹が素直に従うので京楽は俄(にわ)かに心配になった。 「浮竹、大丈夫かい?苦しくない?」 「なんだ?大丈夫だよ」 そう言って浮竹がまたふふふと笑いだしたので、 自分はやはり例え病人でも蹴り倒し返して止めるべきだった と京楽は思った。 「ああ来て良かった。お前こういうの好きだろう?」 と浮竹が言った。 京楽は振り返って背にいる浮竹の顔をのぞく。 「好きだろう?」 「…帰るよ」 「ああ、ちょっと待って。近くまで」 桜の木に近づくと浮竹が手を伸ばした。 「京楽」 「うん」 雪をそっとのけると、そこには小さな花の蕾が芽生えていた。 春はきちんと準備をして待っている。 「花見に来ような」 「うん。そうだね」 「さあて帰って朝食だ」 了 03092010 帰って叱られます。 |