宵の人



雨乾堂の乾いた廊下に人の渡る音がする。
月も静かな夜更けだ。
浮竹はふと目線を上げた。
「やあ。」
見慣れた派手ななりの男が、細く削られた竹編の御簾をくぐって声を掛けてきた。
「まだ起きていたかい」
「ああ」
浮竹は筆を置いて男の方に体を向けた。
「もう今日はその辺でよしなよ」
「いや、まだ少し―」
パサっと頭から女物の着物を被せられた。
「冷えるよ」
被せられた着物の上からさらに大柄な男が覆いかぶさってくる。
そのまま体を両手で抱かれた。
「ほら、また顔色がよくないよ」
ふと男は浮竹の視線が自分の顔と、少しずれたところにあるのを見て取った。
「どうしたの。聞いてる?」
「…ああ、光のせいだろう」
浮竹は男の顔に視線を戻した。
男の目はこの上なく優しい。
そのまま後ろへ引き倒された。
浮竹はそのまま近づいてくる口に、そっと手を当てた。
浮竹の指はひんやりと冷たかった。

男は優しく目だけで理由を問う。
「そのかんざしと、この着物の、ひとに悪い…」
                                                     「だまって」
浮竹の手をそっとのけて京楽は口付けた。



「焦らしているのさ」
京楽のいつもの言である。
京楽が身につけている女物の着物と帯、そして高価そうなかんざしのことを 浮竹が口にすると、京楽は決まってそう答える。
そして今夜も京楽は同じに答える。
「それは内緒。妬けるでしょ」
浮竹もそれ以上踏み込んでは来ない。
言葉遊びのようなもの。
ただほんの少しの拒否の余地を残してあげる。
「妬けるものか」
浮竹はけだるげに呟き、すうと息を吐いた。
京楽はいとおしげにその白髪を抱いて微笑した。


夜風に時折、湖面の月がかすかに揺れるいつもと同じ夜である。












05162009 (06152009「月」から改題)