雨濯 (うたく) ようやく自宅療養を許された浮竹が、雨乾堂に戻って来た。 あの雨の日の出来事を、浮竹に何度も何度も思い返すことを強いる、 ことさら雨の続く毎日であった。 「よく降るよねえ。あんまり浮竹をいじめないでやっておくれよ」 京楽は空に向かって独りごちた。 「お帰り〜浮竹」 やはり今日も浮竹は雨を見ていた。 「浮竹〜。」 「京楽」 「なんだかここにいる浮竹を見るのは久しぶりだよ」 あの酷い雨の夜いらい。 「ああ、やっとな。お前にも…迷惑をかけた」 「なんのなんの。それより身体のほうはどうなの?」 「少し咳が残るだけで、もう平気だ」 「そうか」 京楽は雨を見ている浮竹の横に座った。 時折浮竹が軽く咳き込むので、背を少しさすったりした。 何が見えるの? 何を見てるの?浮竹 浮竹は泣くことさえ許されないと思っているに違いない。 京楽は雨を見ている。 ふりをしていた。 本当は浮竹のことを考えている。 そうして1日過ごした。 次の日も京楽は来た。 また次の日も。 「お前、仕事はどうした」 浮竹は言った。 「僕は有能だから、ちゃっちゃっちゃっ、と終わらせられるの」 「じゃあいつもそうすればいいじゃないか」 浮竹が言って少し笑ったので、京楽は 「はは。まあそうだけど、それじゃあ、いざって時に力が出ない。 浮竹も僕を見習って、普段は肩の力を抜いているといい。君はいつも全力過ぎる」 しゃべりすぎた。 浮竹に、 「だからいざって言うときに力が出ない」 と言わせてしまった。 「違う。そういうつもりで言ったんじゃない」 「分かっているさ。すまん」 浮竹が今度は自嘲の笑みをもらした。 まったくもって浮竹らしくない。 それだけあの日の出来事は、浮竹に癒えぬ傷をつけた。 しばらくの間のあと、気を取り直すように浮竹が言った。 「それにしても毎日来るな」 「うん。」 「浮竹」 京楽は穏やかに言った。 「僕が君にしてやれることは何もないからね。だけど…」 京楽はちょっとコホンと咳をして、らしかぬきまり悪そうな態度でしゃべりだした。 「ねえ浮竹。何百年と経ってこれが思い出になった時、 君が思い出すのは”悲劇的な出来事と孤独”ではなくて、 ”悲劇的な出来事と、”君のそばに僕がいつもいたこと”を一緒に思い出して欲しい。 傲慢な考えかもしれないけど」 浮竹が京楽を見て、京楽は続けた。 「たとえ君が悲しみから立ち直っても、今この時の事を思い出すたび、 君が独りであったらあんまりにも寂しすぎるから」 「真面目だな」 浮竹が言う。 「大真面目だよ」 京楽は答える。 「いつもそれだけ聡明で真面目だったら」 と浮竹が言うので今度は 「聡明で真面目で、仕事も出来て、モテ過ぎて困っちゃうね」 と京楽は答えた。 浮竹は目だけでほんのわずかに笑っただけだったが、先ほどよりずっといい顔をした。 「浮竹が大事だから。僕は浮竹が大事だから」 京楽が繰り返す。 「大事だからさ…」 浮竹が部屋の外に出た。 「浮竹、雨に濡れるよ」 「来るなよ」 「浮竹?」 「来るなよ」 浮竹は泣いている、ように見えた。 雨が頬を伝うだけで、実際は泣いていない、のかも知れない。 次第に浮竹の白い着物が雨に濡れて透けていく。 雨に洗われた雨乾堂の周りの木々も、 湖面に吸い込まれていく雨も、 浮竹がいることによってすべてが成立しているように、京楽には思えた。 了 07282009 |