濁雨 (だくう) 土砂降りの雨が降っていた。 夕刻から降り始めた雨は夜になると更に激しさを増していた。 京楽は腹に力を込め、高めた霊圧で雨乾堂の戸を開けた。 そうせねば開かなかった。 今夜の雨乾堂には、部下である十三番隊の誰一人でさえも近づけなかった。 幾重にも張られ高まった霊圧が、普段は穏やかで静かなこの建物を 異様に軋ませていた。 「浮竹」 京楽はそっと呼んだ。 部屋の中は明かりもなく真っ暗だった。 浮竹は部屋の中央に座り、背を向けて正座している。 長い髪も羽織も袴も何もかもずぶぬれであった。 京楽は部屋に入り浮竹の正面に回りこんでしゃがんだ。 彼の白い髪も白い羽織もそして白い顔も、血に染まった上に雨で流れて滲んでいた。 「浮竹」 京楽はもう一度呼んだ。 浮竹は固く目を瞑っている。 正座したまま拳は白くなるまでに強く握られている。 髪からの雫が、疲労した浮竹の顔に滴り落ちている。 浮竹が極限に張り詰めているのが分かる。 これでは部下の誰一人として近づけまい。 「浮竹…触るからね。顔を拭くよ」 京楽は懐から手ぬぐいを出して浮竹の顔をぬぐった。 そうしても浮竹は目を瞑ったまま黙って動かなかった。 「まず怪我の手当てと着替えだ。そして君に今必要なのは考えることではない。休養だ」 京楽は言った。 浮竹は動かなかった。 京楽は編み笠を取り自分の頭を少し撫でつけて、腰をすえた。 「浮竹…」 海燕君のことは残念だった、か? 君はやるべきことをやった、か? どんな言葉も無力だった。 浮竹の失ったものはあまりにも大きすぎる。 「大変だったね…」 と凡庸にそれだけ言った。 肩から腕にかけての傷が酷い。 それから吐血の跡が口元にうかがえた。 大体の事情はのみ込んでいた。 浮竹のことだ。 歯を食いしばって耐えたのだろう。 自分の判断と感情の分裂に。 浮竹の高潔な理想は時に彼自身を傷つけて守られる。 こうして彼が自分に突き立てた刃(やいば)の傷は、果たして癒える時が来るのだろうか。 京楽は一つ息を吐き、それから静かにしゃべり出した。 「…自分の病が疎(うと)ましいかい?」 「自分が隊長の職についているべきではないと思うかい?」 「職務上の責任問題を問われるだろうね」 「部下を見殺しにしたとも言われるだろうね」 「ルキアちゃんに辛い役目をさせてしまったね」 浮竹が痛みを堪える顔をする。 「他にもっとよい方法がなかっただろうか」 浮竹がぐらりと揺れる。 「ないさ!」 京楽が言う。 「このままでは君までも死んでしまう!僕は酷い男だからね、君が生きていればそれでいい!」 揺らいだ浮竹の肩を京楽が支えると、ごぼっと嫌な音がして浮竹が吐血した。 続く激しい咳。 「浮竹!」 「僕はこれから君を無理やりにでも連れて行く」 京楽は浮竹をかき抱いた。 京楽の言葉は浮竹の身を切り裂いたが膿を出す。 張り詰めた糸が切れた浮竹の意識はもう遠くにあった。 雨がすべてを洗い流す。 雨がすべてを洗い流し、去る。 了 07272009 |