BEAUTIFUL
「用意できた?」 「いや、まだ……」 「何もいらないよ。簡単でいいよ」 「……ああ」 「そのままでいいさ」 準備の覚束ない浮竹に京楽が優しく声を掛ける。 浮竹は真剣に頷いて、京楽からもらった腕時計を大事そうに身に着けた。 「よし、行こうか」 ドアを開ける。 光が眩しい。 手をかざして、浮竹を促す。 浮竹は意外にあっさりと出てくる。 外はよく晴れて穏やかだった。 階段を下りて、道に出る。 ゆっくり歩くが、少しして、浮竹の足が止まる。 外の喧騒が、懐かしい。 騒々しい。 人々が、生きている。 浮竹が動かなくなった。 「だめそう?戻りたい?」 京楽が振り返って聞く。 浮竹は首を振った。 空をふり仰ぐ。眩しさに目を細めたか、眉根をしかめて顔を戻しながらため息をついた。 それから顔を両手で覆って、しゃがみこんでしまった。 「浮竹」 「……戻りたくはないんだが、動けない」 「いろいろ聞こえる?」 「いろいろ聞こえる」 浮竹は、京楽を見上げて言った。 不安げな表情が張り付いている。 「考えていたことがある」 と言って自分の腕時計を外し、自分もしゃがんで浮竹に差し出した。 「ちょっとサイズが違うけど」 浮竹の手首に巻いて、 「うん。緩いな。今度調節して、それでどう?僕のベッドと交換したみたいに」 「ちょうど、自分の名前が彫ってあるってことになる。その方が都合がいいかもしれないね。でも、お互いの名前を彫った腕時計を、交換して嵌めているって、知っているのは僕ら自身だけ」 自分の思い付きに満足している。 浮竹は頷き、嵌められた腕時計を見ながら、 「……こういうのは、案外効くんだ」 と言った。 京楽に手を取ってもらってゆっくり立ち上がると、浮竹はまた少し歩き始めた。 景色を見つめている。その横顔を、京楽は見つめている。 きみを害するものがやってきたら、ひとつ残らず排除したいと思うけど無理だ。 だけど。 「行かないのか?」 浮竹が言う。 「行こう」 喧騒を少し離れ、小道を折れたところに公園がある。 都会でもふと、そういう所がある。 適当に歩いて、芝に腰を下ろした。 太陽に浮竹の髪が透かされてきらめく。 京楽が、浮竹の髪を撫でた。 「きれいだね」 「ああ。新緑の季節だな」 永遠の太陽に照らされた、きみの横顔は美しい。 「浮竹」 「世の中の大抵のことは実は分からない」 「藍染が孤独かどうかも」 「人は人を救う事が出来ないかどうかも」 「スターク親子が幸せかどうかも」 「僕らがこうしているのが正しいのかどうかも」 「だけど」 「美しいって、思ってる」 以前より面やつれした横顔が。 風を受けてなびく髪が。 新緑色の瞳が。 その唇が。 手を握ると、風に瞼を撫でられたように、ゆっくりと目を閉じた。 そして、開く。 瞬きをする。 この世界から去ろうとした、 人に見えないものを見た、 それは孤独かもしれないし、 人の醜悪かもしれないし、 とにかく人の見なくてすむものを見た、 その人が、今それを越えてこうしてここにる。 京楽は思う。 この世界の混沌としたものに、 醜悪に、残酷に、孤独に、 惑わされずに。 寄り添っていて。 僕の側に。 寄り添っていて。 僕の側に。 ずっと。 「惑わされずに」 浮竹の口をついて京楽の思いは言葉として出た。 浮竹は思う。 ただ、 愛しいと思う。 ただ、今日が美しいと思う。 「天気がいいね。暖かだ」 浮竹は、ゆったりと微笑み、空を見ていた。 二人は春の風に吹かれ、木々が揺れて、木漏れ日が光る。 目まぐるしい世の中の流れの中で、二人が瞬きする時間を永遠と感じあえる存在を見つけられたことが、美しいと思う。 END 04102015 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。「楽々探偵事務所」完結です。 長い間かかって書きました。矛盾ほころび拾わない伏線諸々お許しください。この最後の章「BEAUTIFUL」、吉井和哉さんの「BEAUTIFUL」をお借りしています。この歌を聞いた時に、このラストを思い浮かべました。それから楽々探偵事務所は始まりました。 |