BEFOR と AFTER の間        −楽々探偵事務所−




「僕の格好良い出番なし」

外の光を広く取り込む明るい部屋で、京楽が言った。
向かいに座る不愛想な男は、僅かに口を歪めた。笑ったようだ。
「全くだな」
京楽は事の顛末を話して聞かせた向かいの男に、肩をすくめて見せた。

「それで、あいつは今どうしている」
「うん、寝てる」
「大丈夫なのか?」
京楽は再び静かに男を見つめ、目を細めた。
「随分変わったね。きみは」
「そんなことねえよ」
向いの男は顔を少し傾けて続きを促す。
京楽はスタークについて、人の話を聞くようになったな、と思う。この男なりに。
「うん」
「まだそのドアから先へ出られない」
京楽は先ほどまでと口調を少し変えて、ぽつぽつと話し出した。

浮竹の全開の意識が守られるのはこの部屋、そのドアまでの範囲であった。
ドアを開ければ外界とつながり、浮竹はそのことに怯える。
初めてドアを開けた時は、そのドアを開けたまま浮竹は茫然とそこに立っていた。
京楽が声を掛けると我に返ったようにドアを閉めて振り返り京楽の所へ逃げ帰って来た。京楽はそんな浮竹がちょっとかわいいと思ってしまったのであまり積極的なことはしなかった。
それからある時はまたドアを開けて、恐る恐る足を踏み出そうとしていた。自分の二つの足がドアの外に揃うと、浮竹は自分の両足を見つめながらドアに手をかけてじっと立っていた。そして間もなく気分が悪くなったと言ってやはり京楽の所へ帰ってきた。


「……面白がっているな」
「そんなことないよ」
京楽が面白そうに答える。
さてここしばらくはそんな調子が続いている。

「不安定なのも変わらないけど、でも僕は不思議とあまり心配していない」

ぎしっと足音がしてドアが開いた。
「ああ、すまない……来客中か」
「いいよ」
「かまわねえぜ」
「ほらね」
京楽が愉快そうに笑う。
「なんだ」
「いやなに」

起きて来た浮竹は赤い目をしていた。
「悪い夢でも見た?」
「少し」
浮竹が京楽に身体を預けてしなだれかかる。
浮竹は少し驚いた京楽と、目の前のスタークに、
「俺は今心が全開なんだ。許してくれ」
と言った。
京楽はそんな浮竹の腰を抱き、
「そうなんだ。悪いね」
と重ねてスタークに言った。


スタークは無表情にそれを見ていて、何とも言わなかった。
「そう言えばきみ、ひとりだね」
と京楽が促す。
「ああ?」
「リリネットくんだよ。どうしたの」
「後で来る」
「ええ?」
「文字を覚えさしてるところだ。読めるけどまだ書けねえんだ。だから今……なんだ、なにか不味いか」
「いやなんにも」
京楽が面白そうに言う。
「頑張ってるね」
「そうだな」
「きみもだよ」
「ふん」
今度はスタークは明らかに機嫌を悪くした。京楽は話題を変えて、
「そういえばきみのとこ、オーナーさん替わるけど、みんなそのまま住めるの?」
と聞いてみた。
「ああ。」
あの男が絡んでいそうである。



チャイムのなる音。
「ああ、来たかな?」
「あ、おじさん!治った?元気になった?」
浮竹は微笑んで、
「ああ。大丈夫だよ、ありがとう」
と言う。
電話が鳴った。

「はい、楽々探偵事務……ああ、うん。喜助くんか。そう、はい……」
京楽の電話中、浮竹は立ち上がってリリネットにもカップを持って来た。そして穏やかに談笑している。
手短に電話を終えた京楽が、リリネットに向かって言う。
「さて、リリネットくん、養子の件について、間もなく通るよ」
「これで、きみは大事な入学資格を得ることができる。きみは学校に通って勉強する権利を得た。この国の義務教育っていうのは、スターク、親が子どもに教育を受けさせる義務があるって意味さ」
「それからね、図書館に行って好きな本を借りて来て読むことができるし、大きくなったら運転免許をとってもいい。パスポートを作って旅行をすることもできるし、どこでも好きな所に住めるよ」
「よかったな」
と、浮竹が自分の事のように喜んで言った。



帰り際にスタークが、
「今度ピアノを聴きに来い。ただで弾いてやる」
と高圧的に言った。
照れているのかもしれない。
二人でぽかんとしていると、
「一緒に来い」
と言う。さらに、
「いつでもいい」
と付け足した。
努力した配慮に笑った。
「なんで笑う」
「手え繋いでくりゃあいいだろ」
京楽と浮竹は二人で顔を見合わせた。
「はしょりすぎているけど、優しさかな?」
京楽が言う。
「スタークは、全然優しくないけど、優しいよ!」
とリリネットが言った。
「そうだね」
と浮竹が笑顔で答えた。





住宅街の発砲事件は異例の速さで終息を迎えている。突然消えたマンションのオーナーは他の者へ変わり、住人はそのまま住めるように手配された。浦原の手回しだ。彼はもっと以前からあのマンションについていろいろと関わっていたらしい。リリネットのように身元の証明がない者も多数いて、すべて浦原が処理して能った。案外面倒見のいい男だ。その代り雑多な仕事は全部こちらに回ってきた。恩返しでもないが請け負っている。
ネリエルは記憶障害を乗り越えてリハビリの後、医者に戻るつもりだそうだ。ネリエルはバラガンの執刀を請け負った後に不正に気づいたが、それに関与していた同僚に襲われ、その時負った怪我が記憶障害の原因のようだった。バラガンは順当に移植の順番を待つことになるだろう。
藍染はと言えば外国に逃げているらしいという事しか聞かされていないが、詳しいことは興味がないのでそれはいいと断った。すると浦原が、あ、ご存知ならいいんです、などと見通すようなことを言う。またそんなこと言って、尾っぽは捕まえておくんでしょう? と。知らないよ、と答えた。



「浮竹。ピリオドをどこで打つかで物語の性質は決まるよ」
「なんの話だ?」
「ぼくらの話さ。苦しい所で終われば悲劇。乗り越えたところで結べばハッピーエンド」
しかして人生は続いてゆく。よい事も、悪い事もどこにどう作用するかは最後まで分からない。物語を紡ぐ複雑な糸を、編んでいる最中には全体は分からない。それは誰にも分からない。
「ハッピーエンドにしたければ、生きて行く事が大事」
「ぼくはきみがそれを選んでくれたことが嬉しい」
浮竹は黙っていて、少し微笑む。

「もう少し、こうしていてくれ」
浮竹はまたソファに戻り京楽によりかかって目を閉じた。







END


04102015




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