CALL ME        −楽々探偵事務所−






よく晴れた陽の入る明るい部屋の、大きなソファアでくつろいでいる。
くつろいでいる。
と、京楽は思った。

「くつろいでいる」
声に出して言ってみた。
クッションを腕に抱きかかえ、京楽の膝に頭を乗せ掛けて、うつらうつらしていた浮竹がゆっくり動く。
「何か言ったか?」
「うん」
「僕たちは今、くつろいでいるね」
浮竹は柔らかく笑って、
「しゃべると腹が動く」
言った。

「コーヒーを入れ替えてくるよ」
浮竹の頭を浮かせて京楽がそっと立ち上がった。
頭が低くなった浮竹は天井を見ている。

「何かいるかい?」
と離れた場所から聞こえるので、
「何も」
と答えたが声が小さくて聞こえなかったようだ。

カップを手にして戻ってきた京楽がもう一度聞く。
「何かいる?」

熱く入れ替えられたカップの中身が芳ばしく香る。

目を閉じた。

浮竹が答えないので京楽は腰を下ろした。重みでさらに頭が下がった。
さらさらと長い髪が流れる。

横着にずり落ちた浮竹の頭は京楽の腰のあたりにくっついた形になったので落ち着かない。もう一度頭をあげて京楽の膝に乗せかけた。

京楽は背中をソファに預けて、肘掛けあたりに置いていた本を読むのを再開した。


閉め切った窓からくぐもって聞こえてくる外の音が、意識を返せば聞こえ、本に集中させれば聞こえなくなるほどの程よい具合。

「寒くない?毛布を持って来ようか」
「そんなことをしたら本格的に寝てしまう」
「別にかまわないよ」

「京楽は、その小説に出てくる犯人が分かっていて続きを読んでいるのか?」
「興味あるの?」
「京楽は犯人が分かったのに依然楽しんでいる風だ」
浮竹が、京楽が犯人と当てている人物の名を口にして、京楽はうなった。
「まあまあ、間違っているかもしれないでしょ。恥ずかしいから言わないでよ」
「京楽はプロセスを楽しんでいるんだな」
「まあ、そういうこと」

浮竹は手を伸ばして京楽の持つ本を見せてもらおうとして、止めた。そしてうっすらと京楽の手のひらに残る傷跡を撫でた。自我をなくしてナイフを持った浮竹を止めるために負った傷だ。
「こらこらくすぐったい。本が落ちたら危ないよ」
浮竹に視線を移すと、目じりにたまった涙がすっと脇に落ちた。
人が涙を流すのに呼吸を使うのは何故だろう。唇が震えて息が詰まる。はっといって苦しく吸う。
「大丈夫だよ。浮竹」
「分かっている。大丈夫だ」

浮竹は脆くなった。
ほんの少しのきっかけですぐに泣く。
心が全開だからだと言う。
京楽はこのように泣く浮竹を見ては、少し安心している。以前のように、差し伸べる手を取るすべもなく閉じて消えるよりずっといい。
それに、自分を律して他人に寄り掛かることをよしとしない浮竹の、こんな姿は貴重である。今日のこの態度一つとっても、自分に全身を預けている。京楽は含み笑いをする。
「なんだ」
と咎められると京楽は、
「僕は、いつも待っていたし、これからも待っている」
と言った。

僕でよければ、必要として。


浮竹は視線を移した。
「新しい時計を買ったんだな」
「うん。いいでしょ」
「いいな」
「いい?いいと思う?」
「ああ」
「欲しい?」
シルバー色の、シンプルだが、高級そうな腕時計だ。京楽の服の袖から見え隠れする。少し腕を伸ばすと節だった意外に理知的な手首が露わになり、また戻って少し隠れるのをうっとりと見ていた。

きみがよければ、必要として。




浮竹が窓辺によっていて、外を見ている。この窓一枚隔てた外側では、冬の冷たい風が人の頬を打つ。
浮竹はあの事件以後、部屋の外へ出ていない。
いつもここから、外を見ている。
つめたい風を遮断して、穏やかな日差しだけを享受していたこの部屋にも、その日が傾いて行くにつれて別の気配を連れてくる。
冬の夕暮れは加速して進む。
西日が差して部屋がオレンジ色に染まる。
浮竹の頬を染める。
振り向くと京楽の頬を染める。
部屋の全部をオレンジ色に染める。
その圧倒的な終りの気配に、浮竹は怯える。
心の底が、震えてしまう。

「浮竹。こっちへおいで」

京楽は流れおちる涙を手のひらでさすり、自分の方へ抱き込んだ。

「ねえ。浮竹」
「僕がちょっとしたおまじないをしようか」
「ちょっと待っていて」

浮竹が何も言えずに嗚咽していると、京楽は立ち上がり自室に入って行った。
浮竹は突然心臓が跳ね上がった。動悸がする。そばにあったクッションを取って顔を埋めた。

小箱を手に抱えて京楽が戻ってくる。
浮竹の心臓は鼓動で破れそうだ。

「あのさ」
「…。その顔は」
「分からない」
浮竹が断定的に言う。
「分からない。京楽の高揚した胸の音だけが俺に響いている」
「うん…」


「これ、もらってくれると、うれしい」
京楽は小箱を差し出し、そっと開いた。
京楽の腕にあるのと同じものが納まっている。
「実はお揃いで作った。きみのには僕の、僕のにはきみの名前が彫ってある」
「貰ってくれる?」
「それはつまり…」
「日が暮れて夜が来ても、その間明ける時を待つのも。冬が来て凍えて、やがて来る春を待つのも一緒に」
「一緒に時を刻もう」


目の淵を赤くしている浮竹が、再びぼろぼろと涙を零した。
「浮竹」
「俺でいいのか?」
「いまさら何を。知っているくせに」
「ああ、十分に」
記憶を取り戻した浮竹は十分に京楽のことを知っている。そしてその京楽に誰よりも焦がれている自分のことも。
浮竹はしっかりと頷いた。


「そうか。うれしい」

どちらともなく寄り添って、口づけを交わした。

「今のはほら、約束のキスだから」
「だから、そんな目で見ないで欲しい」
「触れ合ってしまえば仕方がない。もう知っているだろう…?」
「ああ。僕は弱い。僕のせいか」
「ちがう…。それだけじゃない」
「僕たちは勢いで二度寝たけれど、今度はちゃんと――」
「分かっている。もう言わなくていい…」

今度は浮竹から京楽の唇を塞ぎに行くと、それを受けてから京楽は一度浮竹の額に口づけを落とし、膝の下に腕を差し込んで抱え上げて、自分の部屋に連れて立った。



*性描写があります→平気です→読む
    →18歳未満です、読まない方(読まなくても繋がります)→このまま下へ







静かな夜のぬくもりの中で、浮竹は目を覚ます。
「うれしい」
京楽は箱からからそっと小さいビロードのクッションを抱いた腕時計を取り外すと、浮竹の腕に巻いた。
丁寧に留め金をする。
ひやりとして重たい。
動く秒針を眺めていた。


ふっと笑うと、
「先にしているなんて反則だろう?」
「浮竹の好みを確かめたかったから」
「道化たのか?」
「究極的に照れ屋だから」
「格好つけたのか」

「ふうん」
「ふうん、て。え?カッコよくなかった?こう、さらっと。ねえ?」
「ねえ」

浮竹は、笑っている。
京楽はそれを見ている。

ゆっくり待とう。それはすぐそこだ。今日が境に春に向かう。僕らの凍えが、ほどける日まで。









END


02062015

吉井和哉さんの「CALL ME」と「TARI」をお借りして。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。待ってくれていた方々に多大な感謝を。楽々探偵事務所、次のあと一章で終わりです。


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