ほねつぎのつぎ (番外編) 「じゃあ、気のせいだね」 と言ってにっこりと笑ったほねつぎ医は、白髪の長髪をさっぱりと一つに括り、長身だが威圧感を感じさせない。病院で痛みを訴えたが無下にされたと来院した患者は、ここでもかと気落ちした様子だったが、そのほねつぎ医は続けて、 「気のせいだから、しばらく通ってくれるかな?」 と柔らかく言った。 「はい?」 「うん。その痛みが気のせい≠チてことは気が原因≠トことですね。ゆっくり調べましょう」 ゆったりと実に誠実な微笑みを、ほねつぎ医は患者に返した。 「じゃあ、お大事にね」 ぽんぽんと肩を叩いて患者を戸口まで送り出すと、午前の患者のいなくなった待合ソファを振り向いた。白衣に髭の男が待ちくたびれたと言って伸びをしている。 「京楽」 「お疲れさん。浮竹」 「お前暇なんだな」 「ひどいな。僕、これでも忙しいんだよ」 「そうなのか?」 「うん。実は卯ノ花女史から本を書けと言われていてね。自分は忙しいから時間のありそうな僕辺りにって、あれ? あちらもひどいな。それでもちろん指導は自分がするからって言っていて、内容はというと――」 「すっかり遅くなってしまった。メンチカツボールまだあると思うか?」 「あ、いや今日はうどん屋に席を取ってある」 「またか! 今日はメンチの気分だ!」 「だめ。まだ油ものは控えなさい」 浮竹はこの夏に胃潰瘍を患った。手術一歩手前まで悪くしたので、経過は慎重だ。それでこれから毎日昼食を食べさせてくれる、と約束した京楽に首尾よく食事指導権を握られてしまった。だから今日もしぶしぶついて行く。 二人は連れだってほねつぎ十四郎≠出た。 しぶしぶついて来たくせに、席に着くと明らかに本日の昼食に期待をして待っている浮竹を、向かいで京楽は眺めていた。 目の前に膳が運ばれて来ると目を輝かせて、 「稲庭じゃないか! 美味そうだ!」 と声を上げて喜んだ。 揚々と箸を割って浮竹が掬い上げた麺に息を吹きかけると、ふわっと湯気が上がった。 ここまで歩いて来る間に浴びた北風は、然り冬を告げていた。年の瀬である。 浮竹がうどんを啜りながら、上目づかいで聞いてきた。 「あれ、やらないのか?」 「うん、体調チェックね。やるよ。でもきみ、最近顔色もいいし、スタッフも増えて過労もとれてきたから、週一程度にしようかと思ってる。きみも負担だろう」 「そうか。お前も丸くなったな」 「年寄みたいに言わないでよ」 その後しばらく京楽も食事を楽しんだ。 浮竹が、ぱんと手を合わせて、 「ごちそうさまでした!」 とお行儀よく言った。 「ちゃんと薬持って来た?」 「ああ。後で飲む」 「だめ。今僕の前で飲みなさい」 「子どもじゃないぞ」 「子どもみたいにさぼるのがきみだ」 「む」 浮竹が湯呑に手を伸ばすと、 「ああ緑茶じゃだめだよ。ちゃんとお水で」 と制される。 「水で飲むのは飲み込むためだけじゃなくてね、薬が適量の水で溶けて作用するように作られてある事も考えてだね……浮竹、聞いてる?」 「……前言撤回」 食事を終えた二人は温まった体で外に出た。風は冷たいが、行きの空腹時より幾分か耐えやすい。 「美味かった! また来ような。今度は天ぷらセットがいい」 「はいはい。でもまだもう少し後でね」 浮竹はウィンドウのサンプルを見ている。 「さて、僕は戻るけど、昼休みはゆっくり休みなさいよ」 「ああ」 「今夜、来るかい?」 「行く」 浮竹は頷いて、京楽を見るとにこっとして手を振った。 浮竹が背を向けると、京楽は少しだけ待ってその笑顔を反芻してから、歩き出した。 夜八時を少しまわった頃、自動のスイッチが切られたドアをこんこんと叩く。 「なんだ」 「迎えに来た」 「行くって言ったぞ」 「お迎えだってば」 「暇なんだな」 京楽は肩をすくめて話し出した。 「昼間、話をそがれちゃったけど僕、忙しいんだよ。卯ノ花女史の求めてる内容ってのは、東洋医学の合理性、みたいな話なんだけどさ。とかく神秘主義的に語られがちな所をそうじゃなくてちゃんと理論的に正しいという事を――きみのとこもそうだけど口伝とか経験とか、そういう一般的じゃないところを一般的に説明するっていうか」 ふうと息をついて、浮竹が自分の腹の辺りに手をやった。 そしてふらりとして事務椅子に座り込んだ。 「浮竹? 大丈夫かい?」 「胃が痛むの?」 京楽が心配する。 「腹が減った……」 「あっ」 京楽が浮竹の耳を噛んだ。そして微笑む。 「不意打ちだと良い声が聴ける」 「卑怯だぞ」 「僕を心配させるからだ」 噛んだ痕を舐めながらなぞると浮竹が逃れようとひと足下がった。しかし京楽が強く抱え込んでしまう。 「やめろ」 「なんで」 「……」 「ねえ」 「つ、つつつつつつづきは、お前の、家で……」 耳を真っ赤に染めて語尾はほとんど消え入ったが、京楽は笑って、 「かしこまりました」 と言った。 「胃に負担をかけない食事って腹が減るんだ」 「消化の良いものを少ない量で、何度かに分けて食べるんだよ。 きみ、午後の診療の間にまた休憩を入れなかったね」 「もう治ったよ」 「自覚症状がなくても油断は禁物」 そう言って京楽は手にした皿をテーブルに出した。 京楽の家である。 「キャベツと八朔のサラダです。キャベツは胃を健やかに保ちます」 「そうなのか」 浮竹は出されたサラダを頬張った。 「美味い」 「ところでさ、帰り際のあれはなんだったの? 可愛かったけどさ」 「……」 「嬉しいけどさ」 京楽がにっと笑う。 「……あそこは職場だ」 「職場か、ごめん。 でも僕らあそこのベッドで――」 「だから……だから、あれから仮眠するためにベッドを使うと、その、思い出して困る」 京楽は含み笑った。 「そう」 「……」 「そうなの」 「なんだよ」 「別に」 「あっちに行こうか」 「うん?」 「いくら思い出してもいい、僕のベッド」 薄明かりの中、服を床に落とすと浮竹が言った。 「背中を見せてくれ」 「いいけど。なんで」 浮竹は答えず広い背中を眺めた。両肩に手をかけて、少し丸く落とした。 「何が始まるの?」 椎骨がごつごつと浮き出る。それを指で一つ一つなぞった。 「真っ直ぐで、正確で、きれいな背骨だな……」 幾分うっとりと言うので、京楽は少し困った。それから浮竹はうなじを下がって一つ舐めた。 「ここを温めると、風邪を引かない――お前、今」 京楽が気まり悪くする。 「感じたな」 「言うかな」 「昼間の仕返しだ」 浮竹が後ろから背中を抱いてきたので、京楽も振り向いて抱きしめた。 終りのほうで浮竹が少し泣いた。 尋ねると気にするな、と言う。 京楽は涙を掬って、頬を撫でた。 「こんちわっす。浮竹さん」 「やあ、一護くん。どうかしたかい?」 数日後、ほねつぎに黒崎一護がやって来た。 「元気っす。浮竹さんは?」 「元気だよ」 「今日はこれ、さっきくじ引きで当たって」 「鏡餅?」 一護の差し出した鏡餅は、同じ商店街の和菓子屋で毎年ついて出しているものだった。 「あっ! 本物のやつだな! 美味いんだよな!」 「良かった。じゃあ貰ってください」 「なんで? きみが当てたんだろう?」 「いや、うち正月家族で出かけるんで。これってほっといたらカビ生えるんでしょ?」 「そうだな。長くは置けないな」 「ですよね。だから、良かったらどうぞ」 「そうか。ありがとう!」 「ところで、浮竹さん」 「なんだい?」 「あのう……ずっと聞こうと思ってたんですけど」 「うん」 「藍染に何かしました?」 「なんだいそれ。最近来てないよ。いつの話?」 「夏頃、あいつが生徒会長に立候補する前くらい」 「んー?」 「ここから帰る時、泣いてるの見たんすけど。いや別にいいんですけど」 「ああ。あの子、体がガチガチだったから、ちょっとした体操はしたよ。それかな?」 「体操すると泣くんすか?」 「骨盤を緩めると感情が解放されるんだよ。泣く人もいるよ」 「なんか、やらしいっすね」 「そんなことないよ」 浮竹は京楽とするときに自分が時々そうなることを知っていたが、よく考えても、身体と心の神秘について感動こそすれ、いやはりいやらしくはない、と思ったので笑った。そうして浮竹が笑うので、一護も笑った。 「何やってるの?」 黒崎一護が帰った少し後に、京楽がやって来た。 中に入ると、ほねつぎ十四郎<Xタッフ総出で何やら骨格標本と格闘していた。いつも院においていて、浮竹が時々説明に使うある骨格標本である。以前は浮竹の悩みの相談相手でもあったようだ。今はどうだろう。聞いてみようと思いつつ、その光景を眺めていると、 「ああ、京楽。お前も手伝え」 と言われた。 どうやら正座させている。それから腰を折って手を床に付けて、頭を下げる。 「新年のご挨拶だ」 と言って浮竹はスタッフと顔を合せて笑っている。 固定させるのに苦労したが、やがて形が整うと、見事にお辞儀姿が完成した。 「どうせなら羽織袴でも着せたら?」 「いやっここはほねつぎ≠ナすからっ」 仙太郎がそう言いながら、何やら立派な鏡餅を持って来て横に置いた。 浮竹が毛筆を出して来て大真面目に書き付けている。上手いとは言えない。 「謹賀新年」と窓に貼られた。 「そろそろ行こうか」 「ああ」 蕎麦屋に連絡を入れてあった。 大晦日の今日は年越しの縁起物を食べにお客がひっきりなしに入るので、二席だけ時間を取って空けておいてもらった。 浮竹は清音と仙太郎の今年一年の労を労うと、また来年もよろしくと言って握手した。二人はもちろんです! こちらこそどうぞよろしくお願いします! と言い、そういうやり取りが数分続いた。 「何して来たんすか?」 賑わう蕎麦屋の席に着くと、店主の海燕が尋ねてきた。 「何? 何もしてないよ」 「何かお二人とも、いたずらしてきた子どもみたいな顔してますけど」 「え? 僕もかい?」 と言って二人で笑っていると、目の前に季節らしい陶器のぐい呑みが二つ置かれる。 「おまけです」 「これはまた気が利く」 「ありがとう」 「きみは少しだけだよ」 「今日くらいいいじゃないか」 「おそらく明日もきみはそう言う」 「まあまあ」 と海燕が執り成す。そして忙しそうに戻る際、 「良いお年を」 と言った。 「ありがとう。海燕も」 「はい」 「来年もどうぞよろしく」 了 新年のご挨拶をする骨格標本を、通りかかった整体院で実際に見ました。傍らには鏡餅が置いてあり、むくむくと「ほねつぎ」の人たちが動くさまを妄想しました。取りかかるのが遅くなり、文章の駆け足の感が否めない慰み書きですが、お手に取っていただきありがとうございました。 藍染くんの体操のくだりは、やらしいことをしたわけではありません(笑)浮竹さんが泣いたのは京楽さんと寝て感情がかいほうされたからなようなことを遠回しにわかっていただければという意図だったのですが読み返したらそうも取れなくもないので力不足でした…。 ブリーチオンリーイベント発行のコピー本「ほねつぎのつぎ」あとがきより。 みなさまどうぞよいお年を! 02122012 (加筆訂正:12312013) |