木の下陰 (このしたかげ) 体に重く圧し掛かる闇は、どこか覚えのあるそれである。 不確かな夢は答えに思い至る前に頼りなく掻き消える。 目を覚ますともう何もない。 はじめはその程度だった。 それが、夢を重ねるごとに重みが増し、声が聞こえ、次第にその形を現してくるようになった。 どうにも重くて跳ね除けられない。 どっと汗が出る。 浮竹は跳ね起きた。 わんわんと耳なりのように蝉が鳴いていた。 浮竹は時刻を確かめる。 夜中である。 「蝉は真夜中でも鳴くのだったか」 「起きられたんですか」 「ああ、少し」 「煩くて寝付けないようでしたら――」 「いや、どうだったかなと思っただけだ」 堂の柱にでもいるのだろう。声が近い。 「具合はどうですか」 「だいぶ良くなった。ありがとう」 「海燕」 「鳴きませんよ。少なくとも俺の育った土地じゃあそうでした。その代り夜明けが来たら合図をしたように一斉に鳴き始めて驚いたもんです」 「そうだったな。そんな覚えがあるな」 「……夜になっても気温がこんな風に高くて暑すぎると、人明かりがあるところでは昼と間違えて鳴くと聞いたことがありますよ」 「そうか……間違えて鳴くのか」 「水、冷えたものに変えてきましょう」 「ああすまん、ありがとう」 悲鳴を上げて飛び起きた。 今日で何日目だろう。 肩でしていた息を整えると、蝉の声を探した。 重い影は自分を包み明確な愛撫を加えるようになっていた。手荒な扱いを受けながら、自分も熱くなっていくのを確かに感じた。 浮竹は発熱の酷い夜も人払いをした。 覆いかぶさった影は自分を掴み、腰に熱いものを当ててくる。浮竹が拒んでもそれは侵入してきて自分の中を貫いた。そして後に熱を吐き出す。 浮竹は畳に爪を立てて耐えた。 目覚めると夜着を汚していた。 毎晩夢の中で責め立てられ、昼の暑さも手伝って浮竹はかなりの疲労をためていた。 そんな弱った体に、昼の最中にもそれはやって来るようになった。 間近で蝉が鳴き始める。 息を整えて気持ちを強く保とうとするのだがふとすると引きずり込まれそうになって体が揺らいだ。 「隊長、大丈夫ですか」 察しの良い副官が声を掛けてくる。 「すごい汗ですよ」 「……」 「大丈夫なんですか?」 「……何がだい?」 「全部っすよ! 人払いなんかして。みな心配してます。眠れてるんですか?」 「ああ、平気だ」 「体調が悪いなら、後は俺が引き受けますから隊長は戻ってください」 「……すまない。そうするよ」 副官は少し驚いて、もう一度、 「大丈夫ですか?」 と言った。 「本当に大丈夫なんですか?」 「ああ、俺の方はな……」 あいつの方が心配だ……。 浮竹は真昼の白く刺すような陽射しの中、隊員たちに軽く声を掛けてその場を去り、人の目の届かぬ方へ身を引いて、路地に入った。 ぐらりと揺らいで白壁に手をつく。必死とやり過ごそうとするのだがこの頃はそれももう無理だと分かっていた。 息を吐く。 蝉が鳴く。 「今夜、来い」 誰もいない路地で、浮竹は言った。 お前、戻れなくなるぞ。 浮竹はついた手を拳に握りもう一度壁に打ち当ててると、路地に立ったまま声を殺して熱いものを吐いた。 了 (「木の下陰」へ続く) 09062012 |